チュニジアのマネキン
前代未聞続きの2020年。 3月21日に新型コロナウィルス感染症拡大の影響で緊急帰国して
そのまま二週間の自主隔離、その最中に緊急事態宣言発出。
解除されても 気候も手伝ってStay Home続行、未曾有の運動不足に陥ってしまった。
これで普通に食べたら太るのは必至。
昨秋からのガベス〜トゥジェン生活では普通にはけていたデニムが止血レベルでぱっつぱつに。体重計の数字ももちろん前代未聞、文字通りのコロナ太り。
一念発起して、ほとんど家にいるのを利用して半日断食、さらに食事の内容をかなり見直したり、Youtubeで見て購入した(Amazonで)フォームローラーなるものをゴロゴロしたおかげで、帰国直後にずっと食べたかった日本の味を久しぶりに堪能しまくったのに動かずにいて増えた体重を元に戻し、さらに出国時を少しばかり下回るところまでにこぎつけた。
もともと下半身が太い、膝下が短いのでデニムは全く似合わないのだけれど、体重、体型チェックにはデニムが映し出すリアルな現状を見ることも必要・・・目にする方々には今場を借りてお詫び申し上げる。
デニム、で思い出すのが チュニジア、ガベスでほぼ毎日見たマネキン。
イスラム教を国教とするチュニジアでは、女性たちは体の線も髪も人目に触れさせないのが原則なのだけれど、さほどコチコチでもないので、都会では日本と変わらぬ服装の方も多い。
特にガベスあたりの、中間的地方都市の若い女性のファッションは、
・全くの保守的スタイル、ダボダボのロング、足首も見えない長さのワンピース
・トップスはともかく、ボトムスはぴったぴたのデニムのスキニー
に 見事に二分されている。猫も杓子も、右も左もスキニースキニー。
脚が見えるスカートを履いている人はガベスにはいない。少し年齢層高めの方はスキニーでなくてもパンツ。それも稀で、年齢上がるにつれてロングワンピースの着用率が100%近くに上昇する。
そして、ロングワンピースの保守派は髪を覆うスカーフ:ヒジャブは絶対。
ピチピチスキニー派はヒジャブある、無しはまちまち。
スキニー派も肌は極力出していないのだけれど(秋から冬にかけてで寒いのもあるが)、お尻も含めて下半身の線、形がここまでくっきり丸見え、ってどうなんだろう・・・と日本人の眼にも違和感がある。まさに頭隠して尻隠さず、ではないか。
髪出すよりよほど扇情的では・・・
日本人の方がここまで体の線を出すことはないのではなかろうかと思う。とにかくスキニー一本やり、ダボダボロングかスキニーか、それも2:8の割合でスキニーの圧勝。
それでいて髪はヒジャブで覆っている、という点が、さらに違和感を増幅させていた。
保守派もまた然り、この辺りの考察はまた改めて。
とにかく、とにかく、ガベスの商店街、ショッピングモールや大型店のない地方都市では
ごく普通に道端に(というより歩道を勝手に占拠する形で)マネキンが並べられているのだが
マネキン、と言っても全身のものはほぼなくて、下半身のみが外に出してあるのが主流。
上半身の服はハンガーにかけて店内、が多い。盗難対策なのだろうか。
そして、その下半身のみの、スキニーマネキン、チュニジアの方々の体型そのもの、リアルである。男性版もほぼ同様だが、女性用、やはりこのヒップラインが・・・
文化の違いはこんなところにも。
これだけぱつぱつで、履かせる時に大変そうだなぁ、と思ってしまう。
胴長短足、下半身太い、昭和生まれのコテコテ日本人のおばちゃん、ガベス生活で靴は買っても、ピチピチスキニーな服を買う出番はついぞなしであった。
旅はまだ終わらない。
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ウィシュワシャ ムシュ ムシュクル
ウィシュワシャ・・・と聞いて あぁ、アレね、とお分かりになる方、ぜひご連絡ください!
と言いたいくらい、知る人ぞ知る、チュニジア語。
それも心身ともに深ーく刻み込まれた単語。
その意味するところは、日本で言えば 蚊 。 今頃の、夏、といえば、である。
あのなんともいやーな羽音、痒み・・・枕詞は「憎っくき」が相応しい。
体質なのか、一種のアレルギーなのか、小さい頃から蚊に刺された跡が治らない、あの細い細い針が刺さった穴がふさがらず、そこからジクジクと体液が出て、あのぷっくりした刺され跡が10倍くらいの凄まじい不気味な腫れ物のお化けみたいになってしまうことがたびたびあった。
そこまでこじれると、その痒さといったら・・・
蚊には苦しめられてきたものの、しばらくそんな痛い目にあうこともなかったのだが、
それはすっかり忘れた頃にやってきた、治らずグジュグジュ、に匹敵する体験、痒み地獄。
2015年9月も終わりに近づいたころ。まだまだ暑い、南部は特に暑い、暑すぎるからやめておけば?と言うアドバイスをいただいたのに、見てみたい行事もあり、トゥジェン滞在を始めてしまった私。
覚悟はしていた、つもりだったが、へなちょこな日本人の覚悟など木っ端微塵。
怒りが湧く、めまいがするほどの強烈殺人光線の太陽光。
乾燥しているので、日陰に入ればスッと涼しく感じるとは言え、光と陰のコントラストの強さで目をやられ、頭痛がしてくる。
暑さに加えて、さらに苦しめられたのが、そう、ウィシュワシャ、とトゥジェンの人たちが言うところの、蚊である。
日本の蚊とはまた種類が違うのか、ウィシュワシャとは蚊のような、刺して痒みを残す虫(ノミなど)の総称なのか、日本での蚊に刺された時とまったく同じではではないのだが、痒いことには変わりない。
どちらかと言うと、さすがアフリカ大陸、を感じさせるどこかダイナミックな感じ。
そして、何がつらいと言って、『何も対策がなされない』こと。
どんな目にあっても、痒み止めがあるわけでも、蚊取り線香、虫除けがあるわけでもない。
根本的に蚊が発生しないようにしよう、と言うアクションも発想も皆無。
何事においても、ミセールシ:大丈夫 または インシャラー:神がお望みならば、と言う文化。本当におおらか、と言うか、根本的に問題を解決しよう、と言うことが見られない。
日本人から見たら、え?と言うことも、そもそも問題とも思ってないのだ。
え?ウィシュワシャ? 平気平気、ムシュムシュクル=問題ない、なんともない、と相手にされない。(ムシュ=否定、no 、ムシュクル=問題、つまりno problem )
薬はないの? とか 蚊をいなくする、刺されなくする方法は、なんて質問は全く意味がない。自然相手もどうにもならないことは、受け入れるしかない。
服から出ているところはもとより、服の隙間にも入り込まれてそこらじゅうウィシュワシャに刺されまくって痒がって半べそかいてる日本人は格好のネタ。
これだけ暑くてもイスラムの保守的慣習で(顔や手は別として)肌は出さない彼女たち、
そんな服着てるからよー、とか日本人は珍しいから美味しいのよー、と笑顔でいじられる。
薬はない、でも掻いちゃだめ。もうある意味拷問である。
暑い、痒い、で夜寝られない。じゃあ昼寝、と思っても、扇風機もクーラーもない。
もっと暑くて寝られない。
心身ともにじわじわ弱ってくるところへ、さらに追い討ちをかけたのは、
今度は 蝿、ハエ。 それも、半端ない数の。
5月の蝿 と書いてうるさい:五月蝿いとは本当によく言ったものである。
チュニジアの、9月の蝿はなおさらであった。もう食事時、皿にわらわらたかっていようが、日陰の電線にみっしり並んで止まって涼んでいようが、日本ではもうありえない光景に、初めのうちこそ失神しかけたものの、そのうち慣れてしまうのだが、耳元をかすめて飛ぶ時の、本当に瞬間的なのに力強い「ぶんっ」と言う音、右から左から、連続不意打ちで一瞬だけ聞かされるその羽音には本当に、もともと絆創膏か包帯でぐるぐる巻いてなんとかもってるメンタルをすっかりやられてしまった。
暑さと睡眠不足、拷問のような痒みと蝿の立てる音、あの動き。しかも多勢に無勢。
まったくの思考停止に陥り、熱波のトゥジェンに沈殿してしまっていた。
そんな中、ママのいつもの高血圧や心臓の薬を受け取りに、車で30分かけて出る町の薬局にいける機会が巡ってきた。
頼みの綱の、『指さし会話帳』には、ちゃんと ”〜の薬をください”のフレーズと、『かゆみ止め』の単語も虫刺されの絵とともに載っている。会話帳を握りしめ、痒みと闘いながら車に揺られていざ 町:メドニンへ、薬局へ。
ママの次男、修行僧のようなノルディンがママの薬の処方箋を出すとともに、
これをください!!!! と指さし会話帳を、人差し指がしなるほど力強く指差しながら必死にカタカナ発音のチュニ語を繰り出す私。
ここからが、前回の記事で触れたところ。薬局のおじさんにフランス語で話しかけられ、
ノルディンが 『この人、フランス語わかんないんだよねぇ・・・』(推測)とニヤニヤしていた(ように感じた)、あのシーンである。
カチン、ときながらも、もう頭とココロは痒み止めをゲットできる喜びの方が優っていたので笑って誤魔化すことができた。
そんなこんなで、とうとう手にいれた、痒み止め。薬局のおじさんが、はい、これだね、と
いかにもな ウィシュワシャの絵が描かれたチューブを出してきてくれたのだ。
フランス語できない、に凹みかけたことなど吹き飛んだ。
そして町での買い物ツアーを済ませ、いそいそと「家」に帰って、アジザに痒み止めを塗ってもらい、シアワセ感に包まれた。
折れたメンタルも復活の兆し。
しかし。その幸せも束の間だった。
痒み止め塗ったはずなのに、間も無く痒みが再発。収まっていないのだ。
あれ、薬の量が足りなかったか、おかしいなぁ、とまた塗ってみながら、よーくよーく薬のチューブを見ると、薬局ではウィシュワシャの絵に気をとられて気づかなかった、『Anti −Mosutiques』の文字が・・・
も、もしかしたら、これは かゆみ止めではなく、虫除けでは、という疑念に軽くめまいを感じながら、スマホアプリの翻訳かけてみたら、どうみても立派な虫除けクリーム・・・
漫画のように、私の頭の上には 『がーーん』という文字が降ってきたのが見えたであろう。
思考停止、『Anti』の文字に気がつかなかった自分を呪うしかなかった。
しかし。逆にここまでくるとがーん、のショックで緩んだ頭のネジも完全に取れて、『これでいいのだ〜』的に、変に腹がくくれたようになったのもまた事実である。
痒み止め、あると思うから欲しくなる。ここには、無い、のだ。
人間、諦める、受け入れたら 楽になる。
チュニジアで、トゥジェンで学んだ大事な教訓である。
旅はまだ終わらない。
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” kif-kif ” et ”revenons à nos moutons”
今日も今日とてフランス語。動詞の活用で脳みそ溶ける。
21世紀のいま、学生時代のアナログな方法とは違って、さまざまな語学学習の補助的アプリ、Youtube、音声も動画もなんでもあり、オンライン使えば場所も時間も選ばずに、地球の裏側とだって対面で授業が可能、学習方法には事欠かない。
しかし、手段はそろばんからスパコンくらいの進化を遂げても、肝心の私のパソコン:脳の方はアップデートどころかダウンデートを繰り返し、いまだに辞書引きながらアルファベットの順番をきらきら星のメロディで歌っているうちに、あれ、何調べるんだったっけ?と 手が止まり、しばし呆然とする始末。
夜になったらもう辞書の小さい字なんて見えやしないので、昼間のうちに勉強を済ませねばならぬ。
そんな昭和のアナログアラ還、さらにうつ病で脳みそバグって記憶力破壊されてるのに、時制と用法の組み合わせにより一つの単語につき96存在するらしい動詞の活用パターン(不規則なものもあるからさらに複雑)、ほか あらゆる品詞の単語、それらの組み合わせの慣用句、etc,etc・・・覚えねばならぬ。
絶句。
あの耳をくすぐる発音しようにもろれつ回らず、ストレスにさらされて歪みの出ている耳は聴き取りが壊滅状態。
まあえらいことに手を出してしまった、とたまに後悔するのだが
いや、ここで負けては日本女性の女がすたるのよ。
なんせ、チュニスから500km 離れた南部の田舎(失礼ながら)の調剤薬局で、外国人としては当然なのだが珍しくフランス語で話しかけられたのだけれど、一緒にいたホストファミリーの次男、母屋の近くに住んでて何かと取り仕切ってるノルディンが、
『あー、この人、日本人なんだけどさ、フランス語わかんないんだよねぇぇぇぇぇ、まったくさぁ、参るよねぇぇぇ』
的なことを チュニ語で にやにやにかにか笑いながら言い放った(あくまで個人の感想と推測、そんなように聞こえた)のにカチンときてしまったのだ。
しかし、それは事実。その薬局で喉から手が出るほど必要だった虫刺され用痒み止めを手に入れるため、いつも携帯、頼みの綱の『指差し会話帳』のお世話になったのだが・・・
この件の騒動は次回に詳述する。
とはいえ、ノルディン、40歳行ったかいかないかの彼も学校でフランス語習ってるはずだが、全く解さないようだ。もちろん英語のえの字も無い。
普段から愛想もなくむっつり、まるで修行僧のよう、ファミリーには珍しくかなり小柄、足音もたてずにぬっと現れる、偏屈でしょぼい田舎のおじさん(私よりかなり若いが 見た目はもはや老成の域)なのに見栄だけは立派、そんな印象。
もはやこてんぱんに言われたい放題であるが、それが正直、率直な感想。
彼のチュニ語、日頃私が耳にするのと同じチュニ語と思えない、全く違うリズム、
口をほとんど動かさないで早口で繋げて、淡々とだけど抑揚だけは上下激しく話す、ママと同じ古い言葉?と思うくらい違うので、ぜんっぜん何言ってるかわからない。
でもお構い無しで通じないのをわかっててぶっ放してきて、こっちが へっ?となってると、ダメだこりゃ、みたいにやっぱりにやにや笑って去る、そんなアナタに、
このひとさぁ、フランス語できなくてさぁ って笑われた日にゃぁ・・・きぃぃぃぃ、ぐやじぃ!!!! 負けじ魂に火もつくというもの。
動機は不純だが、挫折しかけるとこの時のことを思い出し、燃料投下。
そんなノルディンも、前述のように私がトゥジェンに滞在中は逮捕もありえる、滞在外国人の一切の責任を負い、それを私には一言も漏らすことはなかった、その男気みたいなものには敬服し、感謝している。
彼の活躍ぶりも今後少しづつ書かれていくはず。
いい方向に考えたら、私がフランス語できないのを薬局の人と笑った、のではなく、フランス語できないけど勘弁してやってよ、日本から来てるんだからさぁ、と自虐ネタっぽく愛想伝えてくれてたのかもしれないが・・・
何れにせよ、あの時のノルディンのにやにや顔を思い出せばやる気復活に役立つことだけは間違いない。
話が逸れた。本題に戻そう。
そうそう、この、『話をもとに戻そう』、フランス語では
Revenons à nos moutons :我々の羊に戻ろう
というらしい。今日の、羊の学校で出席を取る、返事がない、欠席?の先生の問いかけに
センセイ、〇〇は食べられました! あ、そうだったわね、忘れてた、というブラックなオチから受動態を学ぶ、というビデオクリップでの授業のタイトルだった。
さすが フランス。
そんなこんなで、日々辞書と格闘しているのだが、ひょっこり面白いことを発見するヨロコビも。
チュニジアもで普通に話されている、アラビア語で『同じ』を意味する ”キフキフが、フランス語辞書に載っているのを発見!!
速攻ググって、元はアラビア語、フランス語に採択された旨をしっかり確認。
チュニジア語はフランス語やたまにイタリア語すらそのまま使っていて、本家本元のアラビア語からだいぶ遠くなってしまっているのだが、アラビア語からフランス語へ、の逆パターンもあったのだ。
同じ、というどの語でもあるはず、訳しにくいわけでも特殊な概念でもない、ごく普通の一般的な言葉がアラビア語からフランス語へ、というのはとてもおもしろく思えた。
採択までの経過は辿れるのであろうか。
実際、フランス語圏でどれだけ使われているかは、フランス語力をアップして直撃レポートで確認できるようになりたいものである。
そんなこんなでフランス語を押し込み過ぎて、反対側の耳からチュニジア語が溢れ気味。
今日はトゥジェンの家族にビデオ電話しようか、チュニ語を聞きたくなった。
8月、トゥジェン近辺の今日の気温は43度の予想。
旅はまだ始まったばかり。
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RAPIDO : Fast food in Gabes
Face foodはともかく、オリーブ食堂について書いたとなったら、もう一軒、また別の意味でガベスで大変にお世話になったファストフード店がある。
正直に言う。必死に生きてたガベスでの毎日、日に何度もその前を通り、立ち寄り、挨拶を交わし、それが「日常」すぎて、その店の名前を覚える必要がなかった、私の中では『あそこ』で済んでいて・・・他の人と共通の話題にすることがなかったので、その店の名前はなんと言うのか、実は知らない。
頭の中ではラピッド、と言っていたような気がする、RAPIDO, とデカデカと書いてあったから、それが名前なのかも。
細かいことを言えば、英語なら rapid、フランス語なら rapide。
イタリア語かもしれない、rapido。
ガベスで住むことになったアパートから歩いて東へ30秒かからないくらいの、大きな五差路交差点の角にあるその店のサンドイッチ、2日に一回はお世話になった。一つ買って昼と夜と半分ずつ食べたり、外食など夢のまた夢、外で買ったものを食べることすらめったにないトゥジェンの子供達や女性たちへのおみやげに3つ4つまとめて作ってもらって持って行ったり、オリーブ食堂と並ぶ、ガベスでの食生活の支えであった。
ガベスは大きな工業都市とはいえ、私が住み着いた学校や住宅が多い古い地区では、マトマタを目指すらしき欧米系のバックパッカーはたまにいるものの、アジア人はまだまだ本当に珍しく、しばらく美容院に行けないことを見越して白髪が目立たないように金髪に近い色に染められた髪の、チュニジア人から見たら文字通りの全くの平たい顔をした黄色人種の外国人なんていやが応にも目立つ目立つ。
しかも、突然現れたそんなアジア人のおばちゃんが、かなり高いところに書かれている、全編アラビア語表記のメニューを店先で突っ立って必死に読んでいたら、なんだなんだ?と取り囲まれる羽目になる。
初めてアパートから近所を歩き、まず何か食べよう、となって一番近いそのファストフード店に着き、何が食べられるかと上記のように必死にメニュー読んでいたら、レジ係のお兄さんが英語で声をかけてきてくれた。『日本人?初めてだよ、ガベスへようこそ!』
この写真の、一番左端に写っている、彼である。
チュニジアのファストフード、サンドイッチは基本オーダー制でその場でパン(と言うか本
体、挟む方)と具材を選んで作ってもらい、物によってはさらにホットサンドメーカーの親玉みたいなのでさらにプレスするようにさっと焼く、と言う工程が入る。
つまり、店内は 必ずお客さんから見えるように具材やパンの類がずらっと並べられたカウンターがあり、その向こうに微妙なリクエストに応えてカスタマイズするスタッフがいる状態。
日本でこの状況が見られるとすると、Subway とかになるだろうか。
サンドイッチ、ファストフードについて、サンドイッチの作られ方、流れ、ファストフードにまつわる詳細を書き始めたら、たちまち3万字くらいは書ける。とてもじゃないが
当分やめられない止まらない。タイトルの RAPIDO とは正反対、どろ沼 完璧主義者の餅つき大会になるので、詳しいことは今日は割愛。
今は、この店のスタッフの皆さんとの個人的な交流エピソードをピンポイントで。
レジ専従のこの英語ができるお兄さんは調理はせず、カウンターの外にいるのでそこそこ自由が利く。アジア人がここに住むなんてたぶん初めてだ、何か困ってない?と言うので私が電気ポットを買いたいのだが、と相談したら、レジに鍵をして20分くらいとは言え一緒に近所の店への案内と通訳をしてくれた。息子以下、くらいに若いと思うが、東日本大震災後の原発事故の影響についてなど、日本語でもそうは簡単に答えられない、かなり鋭い質問されたり、出勤前、まぁいいか、と急いでテーブル脇で立って食べていたら、チュニジア人なら別だが日本女性がそんなことをするべきではない、とどこからか椅子を調達してくれたり、敬意を払いつつ、細かなことも注意してくれる頼もしい存在だった。こう言ってはなんだが、粗っぽい地に似合わず知的でスペック高そう、ガベスのファストフード店のレジ専従ではもったいないような気がしていた。延べ人数はかなりなものと思うが、老若男女、いろんなお客さんとお金の関わるやりとりをテキパキ的確にこなす仕事ぶりもなかなか。
オーナーらしきおじさんががっちりレジ担当、それだけで、家族か雇い人がひたすら調理の肉体労働、と言うスタイルしか見たことがなかったが、雇われの身でレジ専従で任されるのは相当信頼が篤いのではなかろうか。
調理担当のスタッフも4人ほどは店先を通る時に目が合えばサンドイッチ作りながらでも手を振って挨拶してくれるようになっていた。2日に1度くらいは買っていたので、もう私の好み:生玉ねぎは入れない、ハリッサは少なめ、ポテトとオリーブは別にする(テイクアウトだと、フレンチフライもぜーんぶ中に入れる、サンドする)などももすっかり把握していてくれて、言わなくてもちゃんと「いつもの」を作ってくれた。
彼らは常に忙しく、カウンターの中で立ち働いていて、サンドイッチのカスタマイズを頼む以外は全く会話したことはないのだが、それでも私にとっては大事な友達だった。
激しく車が行き交う、砂埃舞う交差点の角の店、落ち着く場でもなく長居もできぬものの、彼らの働く姿を見るのは心地よかった。
一番年長でメインで調理するおじさん、と言っても30代であろう、私などよりずっと若いのだが、どんなにお客が立て込んでいても必ずなぜか私に気がついてくれ、挨拶してくれていた。ある夜、仕事終終わりに通りかかったらお客が途切れて休憩中、隣の店でカットのケーキ買っていたところだったのだが、その場でぐいんと半分にして、はいっ!と分けてくれたことがあった。
生の、クリームたっぷりのバラ売りカットケーキ、この地では決して安くはない。
お給料がどれだけかはわからないけれど、朝から晩まで(珍しく夜9時までなのだ、他は7時には閉店するところが多い)長時間労働、その間のわずかな休憩時間にわざわざ買ったケーキを即半分くれるって・・・どれだけ遠慮してもいいから食べて!で ありがたさのあまり泣き笑いでその場で食べた、今思い出しても泣けてくる。
彼が甘いものが好きとわかったので、それ以来機会を見つけてはお菓子、他のスタッフには果物のおすそ分けに励んだものだった。時々、どうしようもなくざらついた気持ちになっても、彼らと挨拶を交わし、何かおすそ分けするものを考えることで救われる部分が大きかった。
レジのお兄さんとはまた違った意味で、ここに置いておくにはもったいない、かなり甘いマスクのイケメン青年(あくまで個人の感想)が調理二番手、甘いもの好きおじさんとの連携プレーが素晴らしいこの青年は自分がよくわかっていて、一番効果的な表情と控えめな笑顔を私に投げかけることで、彼のファンであろう常連の女の子たちのハートをさらに鷲掴みにしていたのでは、と思うのは考えすぎか・・・。
いつかはガベスを離れ、日本に帰らねばならない、その日がきたらなんて言おう、どうやってお別れを、と思うだけでずいぶん早くから泣きそうになっていたのに、思いもよらぬ展開で夜逃げのように突然最低限のものだけ持ってガベスを出てきてしまい、オリーブ食堂のおじさんとモハンマド、ほかの方達とともに、RPIDOのみんなのことが常に常に思い出される。
飲食の客商売、外出禁止が続いてどうなったことか、心配ではあるものの、きっと元気にたくましくやっていけてる、それがガベスの良さだ、と信じる。
忘れられないうちに、また会えることを祈るばかり。お土産なにがいいかなぁ。
ここガベスのファストフード店 RAPIDO との関わりから考えてみた、
*『働く』
*チュニジアの食生活:ファストフード、外食
*順番待ち、公共の場での経験
については改めて書く。
まだ旅は終わらない。
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オリーブ食堂
前回書いた、facefood近辺の写真を見ていて、ぶわーと蘇ってきた思い出。
早くも涙目。
チュニジア南部、良く言えば力強くたくましく、悪く言えば大変に粗っぽい街、ガベス。
その中でも古い地区 ジャーラというところに昨年10月末から5ヶ月間住み、諸事情によりアパート近辺に限られてしまったけれどそれなりに町歩きを楽しんで、『facefood』も発見したりしていたのだけれど・・・
少しづつこのブログに書いていくけれど、チュニジア、特にここガベスでの日々は地方都市で粗っぽいだけに、毎日 ひょええ、とか ぐぇぇぇぇ とか、なんでこの歳になってこんなことを?(好きで来たんだから文句は言えないのだが)ということの連続。でも母国語で思いの丈をぶっ放すこともできず、半端な言語で最低限のコミュニケーションのみ、いつでもどこでもなんでも手に入りなんでもOKの東京とは大違いの暮らし、さまざまなことへの対応であっという間の1日。
これもこの先小出しに書いていくけれど、食生活もガベスの事情、こちらの事情、いろいろ相まって、ガベスでの食生活は
・いわゆるサンドイッチ、ファストフード、私には大きいので、一つテイクアウトして昼と夜とで半分づつ、とか
・パスタ茹でてカツオふりかけとバターとだし醤油と・・・etc あるものかけた、名付けて『ど貧乏パスタ』とインスタント味噌汁
・バナナなどの果物にカップのヨーグルト
・チョコクロワッサンのようなデニッシュ
・バゲットやホブスタブーナなどの最低限のパンにバター&ジャム
と言う具合であった。親が見たら泣く、確実に。
もちろん、『レストラン』もあるけれど、メニューは限定的、そしてチュニスと変わらない値段の割には・・・な経験積んでしまい、営業時間も短くて合わなかったりしてすぐ行かなくなった。
そんなガベスでの哀しき食生活の日々、精神的にいっぱいいっぱいになったり、凹みまくってアパートに戻るのも嫌な時、
『ああああああ、もう今日はなんか落ち着いてちゃんとしたあったかいもの食べようぅぅ!!』
と半べそ涙目でヨロヨロとたどり着く、そんな救いになっていたのが
『マタァム ズィトゥーナ』:オリーブ食堂であった。
漫画のキャラクターか、みたいないかにも気のいい、優しいおじさんが細々やっている街の食堂、と言ったところ。体の大きさと『中身』が微妙にアンバランス、この子この先大丈夫か・・・などと心配になるけど本当にフレンドリーな息子モハンマドが手伝っている。
ガベスにきて、一番最初に仲良くなったニワトリ屋(生きたままのニワトリを売っていて、店頭でさばくのがチュニジアのデフォルト)のお兄ちゃんが紹介してくれた(数軒先だったから)店だった。外の席に座っていたら、そのお兄ちゃんが通りがかりにリンゴをテーブルにぽん、と置いて行ってくれたのだが、モハンマドが『食べるでしょ?洗ってきてあげるよ!』と持って行ったら、ちゃんとカットされてお皿に乗って戻ってきて、大いに感動。
その様子が冒頭の写真である。
その後も、多い時は日に2〜3回前を通っていたこともあり、すぐ仲良くなった。行くたびに、たくさんは食べられない日本人が繰り出すリクエストに応える、野菜多めのスペシャルなメニューを提供してくれた。
小洒落てもいない、ピカピカに綺麗でもない、でも本当に「食堂」感あふれる、温かさがあった。
キッチンから顔を覗かせ、ニコッと笑っておいしいでしょ?とウインクしてくれるムッシュ、べーひ?ベーヒ?:おいしい?おいしい?と何回も聞きに来たり、お気に入りの音楽のPVをスマホで突き出して見せてきたと思ったら、いつの間にか仕事ほったらかしていなくなってるモハンマド。トヨタ、いすゞ、日本の車はすごいけど、ガベスの方がいい街だろう?とか、他のお客さんも混じっての、なんでもない会話が楽しかった。
お腹空いてないのにモハンマドに『寄って行ってよ!』と捕まった時も、席に着くなり深いため息の時も、熱々で具がたっぷりのクスクス、アルデンテなんて吹っ飛ばす、チュニジア風柔らかめパスタ、おふくろの味ならぬムッシュの味はどれも優しく、乾いた心と体に沁みた。
たまらなく寂しく、自分のダメさ、小ささに悲しい気持ちになった時、この食堂の席に座って、ジャガイモやニンジンの皮むきとか、下ごしらえをボランティアでさせてもらおうと行ったこともある。ただただ、日常の毎日の作業に没頭したかった、泣きながらでも。
しかし、思いもよらぬ新型コロナウィルス感染症の影響により、何のけじめもお別れの挨拶もなしに突然の帰国となってしまい、大変な心残りとなってしまった・・・こんなことになるとは思わず、ムッシュとモハンマド、写真撮っていない。激しく後悔。
帰り際、ムッシュもモハンマドも口を揃えての『また明日来るんだよ』が挨拶だった。
その『明日』、オリーブ食堂へ、ムッシュとモハンマドに会えるのはいつの日か、でも絶対にまた行きたい。
ありがとう、ムッシュ、モハンマド、オリーブ食堂。
せめてもの感謝を込めて、まだ旅は続く。
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Facefood
突如 落ち込む、ブラックホール。
気象病:低気圧、高湿度、 Covid-19 に覆われたせい?
宇宙空間に放り出されて漂うような気分、顔が濡れたアンパンマン。
ちからがでない〜〜
ブログの筆にも大ブレーキ。低気圧の大雨の中、前回、外国人滞在者に何かあったら、ホストファミリー代表者が逮捕される、という地方独特の決まりごとについて書いているうちにどんどんどんどん落ち込んでいってしまい、もがき苦しみ泣きながら書くという自縛状態。
いろいろな想いが渦巻き、溢れてしまいどうしようもなく、何をどうしたものか、考えがまとまらない、判断力もない。
こんな時に、まともできっちりした中身を求めてもがいてもろくなことにはならない、と長いうつ経験から学んでいるので、まったく違う方向へ気持ちを流すことに。
(どうすればいいかはわかっているのだから、最初からそうすればいいのに、と自分でも思うけれど、なぜかひと通りの決まった落ち込みプロセスを踏まないとそれなりの結論に到達しない。螺旋階段をぐるぐる上り下りするようなものだが、ただ、浮上に至るまでの時間はとても早くなった。)
というわけで、打って変わってまったくの斜めな話題。
インターネットとの関わりについてはまた改めて述べるつもりで今日は基本のキ。
チュニジアの方々はとにかくfacebookが大好き、寝ても覚めてもFacebook ,暇さえあれば なくてもFacebook,インターネット=Facebook 、Facebook命、といった様相である。
あまりに好きすぎて、とうとうこんなファストフード店ができてしまった。
CEO ザッカーバーグ氏ものけぞるであろう、その名も 『Facefood』。
今回の長期滞在の拠点、ガベスで時々お世話になった店である。
かくいう私ものけぞった。チュニジアのコピー文化、ニセモノ:パチモンが堂々と席巻し、著作権とか肖像権とか、そういう概念ゼロ、真似することは恥でもなんでもない、逆に乗っからないでどうする?という文化には驚かされることばかり、流石に慣れてきていてくすっと笑えることもあるだが、ここまでくると・・・
この発想には逆に感心してしまう。フォントもベースの色もちゃんと本家本元に合わせてあり、『いいね!』マークもそのまんま。『これでいいのだ ミセールシ!』文化、ここに極まれり。
すごーい!おもしろい!写真撮っていい?と尋ねるともう大喜び、もちろんいいよ!
とポーズ、オレらとセルフィーして!と大盛り上がりになってしまった。
これもまた改めて書くが、チュニジアのファストフードは『サンドイッチ』という類ではあるがパンや中身をさまざまな組み合わせでオーダーできるものやピザなどが中心。店によっては定食のような、伝統的なサラダなど盛り合わせたもの(プレート)もあったりする。
いやいやいや、なんだかなぁ、写真見ているうちにマリアナ海溝螺旋階段から抜け出して来れたような気がする。彼らがこの世界的なコロナ禍での長い外出禁止令もたくましく生き抜いていたことを祈るばかりである。 きっと、大丈夫・・・
と思いながら、やっぱりガベスで仲良くしてくれたいろんな人の顔が浮かんで、泣けてくる。
まだまだ旅は終わらない。
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ぼりーすに逮捕されちゃう話。
【実は最近知ったのだが、泊めている外国人が何か被害にあったりケガ、病気になったりすると、その家の代表者が逮捕される、という驚きの仕組みになっているので、家族たちは何事もないよう、かなり気を遣っていたのである】
前回、また改めて、と書いた、上記の件。
ちょっと何言ってるかわからない、と思われるであろうが、私自身もトゥジェンでのホームステイを始めてから5年も経った最近になって知った、まさかそこまで?の事実である。
トゥジェンはチュニジアの首都チュニスから南へ約500km, ガベス県に位置する。
そんな地方都市のみの制度らしいのだが、まず基本的な規則が。
外国人がトゥジェンを訪れる際、その日のうちにそこを出るのではなく宿泊するとなると、最寄りの警察に届け出が必要でなのである。
・パスポートを提示、ナンバーなどを控えられる。
・いつからいつまで、どこの家に泊まるか、職業などの質問あり。
・宿泊させる家の世帯主または代表者(届け出た本人)も身分証確認、連絡先を登録。
初めてホームステイするとなった時、チュニスから延々と7時間ほどバスで揺られてメドニンへ、そこでファミリーの次男、修行僧然としたノルディン、車出した親戚、チュニスで働く末息子の帰省中の友人ほか、迎えに来てくれ、さらに車でトゥジェンへ25分ほど。なーーーーーんにもない真っ平らな荒っぽい平原が続くのだが、モスクや店が並んだちょっとにぎやかなところで車がとまり、身振り手振りで一緒に来て、と言われてついて行った先がその地の警察署であった。
(写真取るわけにも行かないが、チュニジアのタイルを多用して可愛い部分もありながらも、
全く警察感なし、ただの石造りのなんもない小さなレセプションだった)
その時、私の周りにいたのは警察官含めて英語を話さない方達で、パスポート出せ、くらいはなんとかわかったのだが、名前や番号書き取りながら何か尋ねて来られても全くわからず、全員困り果てて、とうとう英語がわかるチュニスの末息子に電話して通訳してもらうはめに。初回だけのことはあり、基本的な質問でも喧々諤々の大騒動となった。
この時以来、私のトゥジェンでの『身元引き受け人』はノルディンである。
帰る時にまた警察へ寄って、帰りますと報告することはなかったので、あとで慌てて尋ねてみたら、その際は警察へ電話して、あの外国人は帰った、と言えばOK、とのこと。
え、そんな、電話で言うだけ?と思いつつも、郷に行っては郷に従え、である。
その後も、トゥジェンに行けば必ず警察に立ち寄り、滞在の届け出をする。
もうお互い慣れたもの、今や簡単な受け答えはチュニジア語で自分で言える。
届け出の後の、滞在中は本当に泊まっているのか、まだいるんだな?的な安否確認の電話が警察から入る、と言う話だった。それも電話だけ?実際に見にくるのならまだしも、電話で聞いても事実かどうか確かめられないよね・・・・と思いつつ。
ホームスティも回を重ね、2020年の秋からトゥジェンに近いガベスに拠点を置き、ほぼ毎週通って連続した3〜4泊を過ごすようになった時は、到着時にいちいち届け出ずとも電話で今来た、今ガベスに戻った、と代表者ノルディンが連絡すれば良いようになっていた。
もはや 『いつもの』というところへ到達。
はじめのうちは、お互い異星人と付き合うような緊張感を持った日々、その地の慣習で女性が一人で外を歩くのはタブー、カフェに行くなんてとんでもない!等々、行動範囲が恐ろしく狭かったのだが、だんだん変化が見られ、こちらも少しづつ少しづつ、信用を得ながら打破してきた部分もあり、だいぶ行動範囲が広がってきた。
家にとどまっていては『仕事』にならないので、タイミングを見計らい、策を練り、E.Tは出かけたらいいこと(お土産)もたらします、と言う条件づけを重ね、嫉妬に燃えるアジザが泣いても拗ねても、ママに嫌な顔されても心を鬼にして他のキリム織る女性宅へ出かけ、『実績』を積んできたのである。
もちろん、この国の文化慣習には敬意を払い出来るだけ尊重する。否定はしない。とにかく、受け入れてもらえていることには感謝しかないのだから、もうお断りです、と言われないよう、決してファミリーに迷惑かけないのは当たり前で、少しでも益をもたらすように、従える部分は郷に従い、そキリムを通してこの地にお金が落ちるようにも計らう。家族の一員として認められるようにも頑張ってきたつもりだ。
だが、しかし。この地の事情はこちらのそんな思惑をはるかに上回るものであった。
私に対してかけられる行動制限は、基本、女性は在宅で、買い物も男性のすること、人目に触れてはいけないという慣習や、人付き合いに関する独特の思考や文化(これも後述)を、トゥジェンの人たちと同じように当てはめられたが故のもの、と思っていた。
家族男性の同伴必須、それもころころ変わる彼らの都合、さらにその男性に手配を依頼せねばならぬ、車出せる親戚の都合頼みでは、とにもかくにもまったくのかごの鳥で話にならないので、さまざまな必要が生じてきた2020年1月の末のある日、半ば強行突破気味に、単独で最寄りの『都会』メドニンへ行くことに。最初は大反対のアジザもママも苦虫をかみつぶしたような顔でしぶしぶ認めた。出発は朝7時、午後1時の帰宅である。バスが1日に一往復しかないのだ。
お土産にメドニンで買ってきた魚(トゥジェンでは売ってない)を料理しながら、いつも陽気なアジザが いつになく真面目な顔で唐突に言ったのが 冒頭の、前回書いたあの一文。
泊めている外国人が何か被害にあったりケガ、病気になったりすると、その家の代表者が逮捕される。
である。だからメドニン行きに反対したのだ、無事でよかったわと。
ときどき、そんなことすると警察:ぼりーす(地方の訛りで濁る、ぽ:po ではなくぼ:bo)
がこうする、と手錠をかけられるジェスチャーをして笑ったりはしていた。
納品期日に遅れたら発注受けたエリ:私が日本で逮捕されるんだから急げ!とあり得ない発破を弟にかけられて、アジザはエリが逮捕されては大変! と数日間、朝から晩まで死に物狂いで私が頼んだキリムを織ったことがある。それ以来何かと 私がクスクスこぼしても 逮捕されるジェスチャーして笑ったりしていたのだが。
泊めている外国人が何か悪いことをしたら連隊責任、監督不行き届きで連座制で逮捕、それならわかるのだが、携帯ひったくられるとか、何か盗まれる、などの被害にあっても、さらには病気発症、ケガ、交通事故、まったく防ぎようもない不可抗力の出来事であっても、とにかくなんらかその外国人の心身に良くないことがあったら、泊めますと届け出た世帯主が逮捕される、というのだ。
だから、今日 エリがメドニンに一人で行ったのを知った「責任者」の次男ノルディンが、なぜ許して行かせた?と猛烈に怒ったのだ、と言うではないか。
ちょっと何言ってるかわからない。にわかには信じがたく、しばらく呆然。
そんなバカな、何それ、ありえない、おかしいでしょ、と言うなんとも落としどころのない気持ち悪さと、もしそれが本当で、万が一 何かあったとしたらどれほど迷惑かけることになるのか・・・たとえ風邪引いて、熱出して寝込んだりしても?
いやいやいや、そんなこと、警察に明かさなきゃわからないでしょ、交通事故ならまだしも・・・etc etc 理解できないことに対する考えがぐるんぐるん 頭の中を回り続けた。
聞くところによると、実際本当にそうらしい。法律的には県によって違いがあるようで、首都チュニスではまったく考えられないことのようだが、ガベス県では本当にそんなことが定められていると言うのだ。責任負わせない、家族の逮捕を避けるためには、個人宅ではなく、プロ、民宿等、宿泊施設に常に泊まるしかないらしい。責任は私自身が負います、と言う念書書いても効力ない、とも・・・ホームステイには大きなリスクが伴うのだ。
頭抱えた。今までで一番ショックだった。トゥジェンで、これまでに腰が抜けることはいっぱいあったけど、それとはまた別次元で腰が砕けた。あれダメ、これダメ、メドニンに行くなんて!!!にはそう言う理由もあったのか・・・。私は一歩間違えばとんでもない大迷惑を家族にかけることになる、と思うと身の置き所がないように感じ、気持ちを切り替えるのには少し時間を要した。
あらゆる点で日本と大きく違うチュニジア、法制度、国家権力、強権発動、警察という名の放つ圧力威圧感は半端ない。この純朴など田舎では、普段は警察の出番なぞ皆無、逮捕なんて震え上がるレベル。
今日は無事でよかった、ちょっとやり過ぎたか、と申し訳なかったけれど、当の責任者、ノルディンが私にこの件で何か言ってくることはなかった。いつも通りの淡々、むっつりである。
いやー、、参ったな、これからどうしよう、おとなしくもしていられないけど、ノルディンが逮捕されるのは避けたいし・・・
考え込む私に、明るさを取り戻したアジザがにっこり笑って言い放つ。
『ノルディン、ボリース、ミセールシ!!! エリ ディーマ フィ トゥジェン、トゥジェニーヤ ベーヒ!!!』
→ノルディンは警察つかまっても平気平気!大丈夫、それより、もう来ないなんて言わないで、もうずっとここに住めば、トゥジェン人になればいいのよ!!!!(意訳)
そ、そうね・・・ちょっと考えさせて。
旅はまだまだ続く。
* 警察への届け出は、拠点とした県内のガベスでも、遊びに行っただけのマトマタでも同様に行っている。
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洗面器後頭部直撃事件。
洗濯とかシャンプーとか、水つながりのネタが続いているが、思えば、そのあたりの出来事を取りまとめている、というか、拠点となっているのは日本で言えば洗面所、とかお風呂場、という言葉で表される「一室」である。
チュニジアにこの言葉が当てはまるかどうか、適切なのかどうかはわからないが、日本で言うところの『欧米化』とか『洋風』化された生活様式の家、都会の住宅の作りだと、
・トイレは洋式
・たとえ洗濯機を置き場、防水パンのようなものがあるだけと言えども、シャワーを浴びる場所ははトイレ内に
といった感じで、そのレベルは数々あれども、今までチュニジア国内で目にしてきた住宅内のバス・トイレ事情は、おしなべてユニットバス形式であった。都会では。
これがトゥジェンとなると話は別。古い家だと、台所も別棟で水道、洗い場:シンクなしもまだまだ普通。トイレも別棟、チュニジアの昔ながらのスタイルに『和式』というのは当てはまらないのだけれど、わかりやすく言えば『和式』である。足の置き場と、穴が空いた陶器製の『トイレ』が地面に埋め込まれている。ある意味、水洗で、バケツや桶などに入れた水が置いてあるタイプ。裸電球あればいい方である。昭和40年代に育った私でもなかなかこの状態への復帰はきつい。
チュニスの観光会社で働き、仕事柄チュニジア各地のホテルに泊まることの多い、7人兄弟の末息子の薫陶で、トゥジェンのホストファミリー宅は近辺では稀な、洗面台、洋式トイレ、立派な浴槽&シャワーの三点セットの揃った『洗面所』がある。たまーに出動する洗濯機も普段はそこに、洗面台とトイレの隙間に押し込まれている。
私たちがその場所を指していう時には、シャワー:ドウシュか、トイレ:トワレットと言う。『洗面所』に当たるチュニジア語があるのかどうかは、今現在の私の力ではわかっていない。
いかんせん、洗面、とか歯磨き、とか、我々が洗面所、洗面台周りで日々行うこと、それがトゥジェンの生活には組み込まれていない。
『ある』のと『使える』のが別の話なのがここチュニジア。2014年11月に、初めてトゥジェンにホームステイをした時、キッチンはともかく、その洗面所はまだ増築されて間もない頃だったようで、あるにはあったのだが、洗面台など設備は置いてあるだけ、と言う感じで工事中断されたまま、浴槽内はヤギの餌の草やらなんやら、物置になっていて、使える状態ではなかった。
チュニジアではよくある話で、いろんな建設工事でもなんでも、日が高く昇って暑くなる前に、朝早くから仕事始めているけれど、せいぜい午後2時とか3時には誰もいなくなっていたり、かなりのんびりムード。材料が手に入らないとか、お金が続かなくて中断、も当たり前で、建ててるんだか壊してるんだかわからない状態のものがいっぱいある。
トゥジェンあたりでは工法もいたってプリミティヴ、ヘルメットも何もありゃしない。
隣の家では、増築?らしき工事が細々と、延々と続けられ、半年近く間が空いて行ってみても、似たような場所をまだやってる!と思ったのが2回ぐらい、完成したようには見えないが、最近どうも終わったという話。
あのあたりでは雇用もそうそうないので建築仕事につく男性の割合が高く、親族で頼み合っていたり、自分でやる、と言うこともよくある。我がファミリー宅のドウシュも、いわば不要不急の工事は後回し、この地に在住の3人の息子の都合が良い時にちょこちょこやったりしていたのかもしれないし、それで何にも困ることはなかった。
しかし、突然、E,T外国人がやってきて、寝泊り滞在、オセワニナリマス となったのだからさぁ大変。そのE.T、食事や睡眠はなんでもOKで楽しく暮らせていたのだが、5日も経った頃、切羽詰まった様子で カオ アライタイ、ハミガキシタイ、アタマカユイ!カミアライタイデス、オネガイシマス とか言うではないか。
*この時の、トゥジェン初滞在での初洗顔等の様子については、また改めて書く。
あの光景はまだうまく言葉にしてまとめることができない。
それが2014年11月のこと。郷に行っては郷に従え、なんとシャワーどころか、洗面、歯磨きも5日間も我慢していたのである。
今から思えばE.T気が弱すぎ、郷に入りすぎ、遠慮しすぎだったのかも知れないが、彼の地は本当にそんな習慣皆無の、別惑星のような状態だったのだ。
とは言え、年に1−2回はトゥジェン滞在したい私と、いろいろやらかすから面白かったのか、ありがたくもE.Tまた来てね、というファミリーとの思いが一致して、2015年3月には再びトゥジェンを訪れることとなり、忘れ去られて物置と化していた洗面所:ドウシュを必要とするE.Tの再来に向けて大急ぎで工事が再開され、見事完成。近代3種、やっと『使える』状態となったのである。
しかし。何事も7割8割のところで『これでいいのだ ミセールシ!:大丈夫』で終わってっしまうおおらかなお国柄、洗面台の上にせっかく開けられた窓、はめ殺しのガラス&枠のサイズが合わない、という理由(そんなことが起こる)で取り付けられずにポッカリ空いたまま。合わない部品は浴槽の淵に放置プレイで、代わりにたまたまピッタリだったというシンデレラな『洗面器』、というか、いろいろ使いまわせる青い四角いタライ状のものが窓ガラスがわりにはめられていた。その発想というか、臨機応変さというか、たくましさには本当に感心する。
(ちなみに、写真にあるように洗面所のドアを勢いよく開けるとトイレに激突してしまうので、あのドアはそっと、65%くらいしか開けられない。それでもミセールシである、出入りできるのだから問題ない。)
しかし。事件は起こった。
ここトゥジェンは地形的なものなのか、常日頃から風が強いことが多い。
その日も朝から風が強かったのだろうか、その記憶はないのだが、ある朝のルーティン中。
真上の窓から、件のガラスがわりにはめられていた洗面器が、うつむいてじゃぶじゃぶ洗顔料を流す私の後頭部めがけ、風に押されたのか突然落下、ごぃーんと直撃したのである。
もはや、昭和のテレビのコントである。
いや、それさ、ネタでしょ、と思われるかもしれないが、本当の話。
『痛!!!』思わず日本語出る。私の後頭部でバウンドした洗面器は床に派手な音を立てて転がり、アジザが何ごとかとすっ飛んできた。説明する言葉はなくとも、床に転がった洗面器見れば事情は察せる。こうしてたらばね、と事の次第を再現してみせると、アジザは ムスキーナ:かわいそうにと私の頭を撫でながら大爆笑。
そしてまたその青い四角い洗面器は窓に戻された。かなりグイグイ押し込み、『ミセールシ!』:これで大丈夫!って・・・そ、そうじゃないんだけどね、何事も根本的な解決を望む、と思いつつ、郷に入っては郷に従え、である。けががなくてよかった。
実は最近知ったのだが、泊めている外国人が何か被害にあったりケガ、病気になったりすると、その家の代表者が逮捕される、という驚きの仕組みになっているので、家族たちは何事もないよう、かなり気を遣っていたのである。(そのあたりはまた改めて書く。)
なので、E.Tの頭を洗面器直撃、さすがにこれはいかん、逮捕されてはかなわない、と思ったのか、その次の訪問時にはきちんと洗面台の上の窓にガラスがつけられ、洗面器は本来の役目に復帰。
前回の記事の写真、稼働中の洗濯機の横に写っている。『あの時はよくも・・・』などと思いつつ、手洗い洗濯に活躍してもらっている。
旅はまだまだ続く。
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移動式洗濯機。
7月になっても、まだまだ引っ張る、洗濯ネタ、洗濯機の話題で追記。
このブログで使う写真を整理していて、先日の洗濯機について書いた時の様子の
写真を発見。自分でも撮ったのをすっかり忘れていた。
この写真も一緒に掲載すればあの記事にもっと躍動感(大げさ)が出たのに、失敗した。
なので今回は早々にお披露目しよう。
この時はボトルの白い液体が洗剤だった。
全自動ではなく二槽式、同じ洗濯水を汚れの軽いものから何度か使うので、取り出しておく
バケツやらタライやらも待機している。
この時はオリーブの収穫に行ってかなり汚れたので、ついでのママの服も合わせての、なかなかの量と汚れだったため洗濯機の出動をママが許したのだが、いま思うに、もし私がいなかったらアジザが手洗いしていた可能性が高かっただろう、そんな気がしている。
大事な家畜のヤギの世話の90%以外はママは引退、軽めの鶏の世話から母屋の家事のすべてやりつつ、さらにキリムを織って現金収入を得るのもアジザの仕事。ワークライフバランス、時間と体力の配分を考えるともっと機械化を推進すべし、などと思ってしまうが、郷に入っては郷に従え、ここの暮らしにおけるバランスの取り方、暮らし方といものがあるのだろう。
すべてが自宅周辺で完結する、恐ろしく狭い世界での暮らしにおいて、ママの世代から見たらガスで調理、基本的な食料も売っている、などという暮らしはもうすでに十分な時短で、女が働かずにどうする!みたいな考えもあるような気がする。
しかし、私がトゥジェンで果たしたいキリム関連の目的を遂行できるように一番柔軟にはからってくれるのもママである。アジザがキリムを織るのを一日中でも見ていられる私に、せっかくここにいる間は出来るだけキリム関連で彼女と並走してもらいたい、と思っているのではないか、ということもそこはかとなく感じられる。もちろん、キリム関連で現金収入を得るという部分においても、いちばんがっちり強気にそろばん弾いてくるのもママである。
キリム織ること、織れること、その技術が彼女たちの最強の武器なのだ。
E.Tな外国人を受け入れ、アンタはうちの娘、と可愛がってくれる、ママは本当に頭がいい。
さすがこの地で70年以上生き抜いてきただけのことはある、人間力、底力、たくましさはもう個人的に人間国宝に認定したいと勝手ながらつくづく思う。
ちなみに、ママの話す言葉はアラビア語チュニジア方言の南部訛りともまた微妙に違う、古い言葉なのか、他で耳にする言語と同じではないと思う。ママとはまた違う生きる力と勘の良さを持ったアジザが、今やママ(他、嫁や親戚も含め)と私の通訳をしてくれている。
そんなママには、四男三女 七人の子供がいて、いまママと暮らすアジザは末娘の三女。次女はトゥジェンから車で行けば30分ほどのマトマタという地に嫁いでいる。正確に言えば「新」マトマタ。旧(いうか本来の)マトマタは、かの有名な映画『スターウォーズ』のロケ地やベルベル族の穴居住居で有名なところである。
そのマトマタに嫁いだファトマさん宅は、昨秋からのチュニジアの本拠地 ガベスからも車で20分ほどの位置関係。ガベスで仕事がない平日中はふいっとご飯食べに行ってそのまま泊まったり(というかそうせざるを得ないのだが)、同じところに最長で四泊しかしない、ガベスかトゥジェンかマトマタか、の移動続きの多拠点生活だった。
ファトマさん宅も洗濯機はある。恐ろしく綺麗好きで掃除も片付けもきっっっっちり、の彼女は洗濯魔でもあり、行けば身ぐるみはがされて、コートでもなんでも洗われていた。
すべてが完璧主義のファトマさん、トゥジェンとは正反対に、それじゃ繊維が傷みませんか???くらいがっつり脱水するタイプ。そして乾いた風が強い、何も遮るもののない(柵もなくてものすごく怖い)屋上に干せば、分厚いアウターでさえ3時間あれば乾いてしまう。風が強すぎて、この服ガベスまで一人で飛んで帰っちゃうかもね〜、と冗談飛ばすファトマ、全然年下だけどしっかり者で安定しててよほどお姉さんのよう。
ガベスでのモタモタ手洗いびちょびちょの洗濯ものとの格闘、その他さまざまなストレスもファトマが洗濯してくれていた。
ちなみに、ファトマさん宅の洗濯機、使わないときの置き場所は・・・寝室である。
ふだん、でかいベットの横にカバーかかった洗濯機が置いてあるのだ。さすがにプライベートな、それもイスラム社会のご夫婦の寝室ないは写真撮れず。
そして、使う時は中庭へ、えっちらおっちら移動させる。初めてその置き場所:寝室から移動させて洗濯始める様子を見た時は、トゥジェンでの一件よりさらに衝撃的で腰が抜けた。ファトマはあの一家の中では珍しい細身だが、そこはママの娘、重い洗濯機も器用に一人で移動させていた。下手に二人で持ち上げるより楽に、慣れた手つきで一歩づつ歩かせるようにするのである。その様子も写真に残しづらいのがこの地の慣習。しかし本当の話である。
雨に当たる可能性も低く、屋根もあるのに、なぜ中庭に出しっぱなしにしないか、はまた独特のこの地の文化、思想が関係しているようであり、今後考察と検証を重ねていきたい。
事実は小説より奇なり。
旅はまだまだ続く。
ファトマ宅の洗濯機、やっぱり二槽式。
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Youtube
フランス語、嗚呼 フランス語 フランス語。 毎日欠かさず フランス語。
若い時から毎日コツコツ、の自習が恐ろしく下手、さらに『うつ』に癌に子供の問題、でその日暮らしもいいところ、日々生き延びるので精一杯の日々でなんの積み上げもできていなかったのだが、そんな時期を乗り越えたおかげか、多少なりともの年の功か、5月からのオンラインフランス語学習が順調に続いている。
昨年はフランス語学校に通ったのだが、今春からの新学期がコロナ禍で延期が続き、ならばこの際リモートで、ということで、そのフランス語学校の推奨するオンライン学習システムを受講することにした。毎日、というか週5回上限で設定した曜日にメールでその日のレッスンが送られてきて、回答すると添削されて、というスタイル。
フランス語学習者の方はみなさんそうかと思うのだが(思いたい)、一番苦しんでいるのがconjugaisom:動詞の活用。これもまたアプリで特訓中だが、三歩進んで二歩下がる、どころか一歩進むのも三日がかり、下がるのは1分、くらいの気がしている。
そんな牛歩戦術どころか亀の歩みでは、身につくよりも寿命が尽きる方が早そう、というわけで、ここはYoutubeの出番である。発音から文法から、なんでもござれ。
最近はなんでもYoutube、動画から知識を得ることが飛躍的に多くなった。電化製品の取り扱い説明やいろいろな手順もみんなYoutubeで見ることができるのだから、もう細かい字が読みづらくなり、文章の理解力も忍耐力も低下してきた身にはかなりありがたい。
以前の記事の手洗い洗濯ネタに書き忘れていたのだが、実は・・・手洗い洗濯の効果的なやり方、というものも『勉強』したのである、Youtubeで。
昨年10月、チュニジア南部の地方都市ガベスに拠点を置き、学生向けの寮のような、なんでも共同、洗濯機無し!のアパート暮らしになった時に、である。後日詳しく述べるが、wifi 事情もよくはないので普通女性は近づかぬカフェ(この件もまた後日詳しく)のフリーwifiあるところで、好奇と非難の目にさらされながらの、手洗い洗濯方法動画視聴であった。
家事の勉強、といえば・・・まだトゥジェンにホームステイし始めて間もない頃、一家の「主婦」アジザにいつもくっついて、その地、その家の家事や生活見習いをしていたのだが、、如何せん、何もかも日本とやり方が違い、へぇぇぇ、そうやるんだ、と目を丸くして感心することばかり。なんでも手作業、家畜の世話に農作業、果ては炭焼きまで、その合間にキリムを織る。
人として、生きる、人が暮らす、生活することについて、改めて考えることが始まった。
今更ながら、朝起きてから夜寝るまで、その暮らしは何もかもが感動である。
料理もまな板使わず、ペティナイフで直接片手で削ぐように切りながら鍋へ、等(このブログはそういう見聞きし体験したことの記録が目的なのでこの件も追い追い書いていくが)そんな文化の違いがとても興味深く、ずっとアジザにくっついてしげしげと見、いちいち感心して、やらせて貰えば全然うまくできなくて、という、これぞ異文化に飛び込む楽しさ、観光旅行ではない『暮らしを知る』醍醐味、ほんんとうに貴重な体験を積ませてもらっていた。
アジザたちからすれば、誰も代わってはくれぬ、そんなのあったりまえの、なーんでもないつまらない日常の孤独な台所仕事、家事全般に、いい歳した外国人が目を輝かせて感心してすごーいすごーいを連発、やるやる言うからやらせてみればあまりに下手くそすぎて笑っちゃうレベル。突然、見たこともない機械(パソコンやipad、iphoneのこと)持ってやってきた言葉も通じぬE.Tとの交流で家事も料理も楽しく嬉しい時間に変わっていた。
彼女たちが一番最初に覚えた日本語は「すごーい」である。
猫舌で、非力で、不器用なE.Tがやることなすこと、何もかも笑いのネタ。
熱いから気をつけろ、と言われているのに、クスクス口に入れてやっぱり熱くてのたうちまわるとか、自動でつかないガスコンロにライターで火をつけるのが怖くてできない、とか、日本とはシステム違う鍵のついたドアがどうにも開けられずに苦しんでいるとアジザが目をつぶってでも秒殺で開ける、etc etc ・・・もはやコント、子供達も大喜びで、何かやらかすと翌日には親戚全員知っていて、状況をマネされ笑われた。
文字情報もエンタメも、家族親戚以外の付き合いも、なんの刺激もない、外出もままならぬ、21世紀とは思えぬ保守的な彼女たちの暮らしにおいては、外国人が家に寝泊まりしているなんて、一世一代の一大事。受け入れてくれただけでも感謝、断られたら終わってしまう。私という存在そのものが、生きる力のなさ、都会人のダメっぷりが少しでも楽しんでもらえて、乾いた大地に潤いができるのであれば、もう笑われてなんぼ、である。
笑われながらも経験積んで、この頃は一家の一員として言われなくても一人でもこなせ、好きにやらせてもらえることも増えたのだが、やはりさらなる進歩を見せねば、いつまでもダメダメで笑われていては日本の主婦の名が廃る、と思い、日本にいても意識的にトゥジェンだったらどうするか、文明の利器なくともやっていく方法をわざとやったりしていたのだが、洗濯はさすがについ機械任せで・・・ガベスで勉強Youtube、となった、2020年10月。
笑いを取ること以外にも、実際的に貢献できることを、継続的に、が目標である。
*写真:Youtubeで学ぶだいぶ前、まだ滞在し始めの頃、手伝う!やる!といって勇んで洗濯したら、手で揉みすぎて破いてしまった手編みのレースの『テーブルクロス』。半べそで打ち明けた私に、アジザは爆笑しながら『ミセールシ!』:大丈夫 と言ってくれた。今はトゥジェンを訪ねる際には汚れがすぐ拭けるビニールの柄付きのものを調達していく。便利で手軽、もいいのだけれど、ちょっと複雑。
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