ウィシュワシャ ムシュ ムシュクル
ウィシュワシャ・・・と聞いて あぁ、アレね、とお分かりになる方、ぜひご連絡ください!
と言いたいくらい、知る人ぞ知る、チュニジア語。
それも心身ともに深ーく刻み込まれた単語。
その意味するところは、日本で言えば 蚊 。 今頃の、夏、といえば、である。
あのなんともいやーな羽音、痒み・・・枕詞は「憎っくき」が相応しい。
体質なのか、一種のアレルギーなのか、小さい頃から蚊に刺された跡が治らない、あの細い細い針が刺さった穴がふさがらず、そこからジクジクと体液が出て、あのぷっくりした刺され跡が10倍くらいの凄まじい不気味な腫れ物のお化けみたいになってしまうことがたびたびあった。
そこまでこじれると、その痒さといったら・・・
蚊には苦しめられてきたものの、しばらくそんな痛い目にあうこともなかったのだが、
それはすっかり忘れた頃にやってきた、治らずグジュグジュ、に匹敵する体験、痒み地獄。
2015年9月も終わりに近づいたころ。まだまだ暑い、南部は特に暑い、暑すぎるからやめておけば?と言うアドバイスをいただいたのに、見てみたい行事もあり、トゥジェン滞在を始めてしまった私。
覚悟はしていた、つもりだったが、へなちょこな日本人の覚悟など木っ端微塵。
怒りが湧く、めまいがするほどの強烈殺人光線の太陽光。
乾燥しているので、日陰に入ればスッと涼しく感じるとは言え、光と陰のコントラストの強さで目をやられ、頭痛がしてくる。
暑さに加えて、さらに苦しめられたのが、そう、ウィシュワシャ、とトゥジェンの人たちが言うところの、蚊である。
日本の蚊とはまた種類が違うのか、ウィシュワシャとは蚊のような、刺して痒みを残す虫(ノミなど)の総称なのか、日本での蚊に刺された時とまったく同じではではないのだが、痒いことには変わりない。
どちらかと言うと、さすがアフリカ大陸、を感じさせるどこかダイナミックな感じ。
そして、何がつらいと言って、『何も対策がなされない』こと。
どんな目にあっても、痒み止めがあるわけでも、蚊取り線香、虫除けがあるわけでもない。
根本的に蚊が発生しないようにしよう、と言うアクションも発想も皆無。
何事においても、ミセールシ:大丈夫 または インシャラー:神がお望みならば、と言う文化。本当におおらか、と言うか、根本的に問題を解決しよう、と言うことが見られない。
日本人から見たら、え?と言うことも、そもそも問題とも思ってないのだ。
え?ウィシュワシャ? 平気平気、ムシュムシュクル=問題ない、なんともない、と相手にされない。(ムシュ=否定、no 、ムシュクル=問題、つまりno problem )
薬はないの? とか 蚊をいなくする、刺されなくする方法は、なんて質問は全く意味がない。自然相手もどうにもならないことは、受け入れるしかない。
服から出ているところはもとより、服の隙間にも入り込まれてそこらじゅうウィシュワシャに刺されまくって痒がって半べそかいてる日本人は格好のネタ。
これだけ暑くてもイスラムの保守的慣習で(顔や手は別として)肌は出さない彼女たち、
そんな服着てるからよー、とか日本人は珍しいから美味しいのよー、と笑顔でいじられる。
薬はない、でも掻いちゃだめ。もうある意味拷問である。
暑い、痒い、で夜寝られない。じゃあ昼寝、と思っても、扇風機もクーラーもない。
もっと暑くて寝られない。
心身ともにじわじわ弱ってくるところへ、さらに追い討ちをかけたのは、
今度は 蝿、ハエ。 それも、半端ない数の。
5月の蝿 と書いてうるさい:五月蝿いとは本当によく言ったものである。
チュニジアの、9月の蝿はなおさらであった。もう食事時、皿にわらわらたかっていようが、日陰の電線にみっしり並んで止まって涼んでいようが、日本ではもうありえない光景に、初めのうちこそ失神しかけたものの、そのうち慣れてしまうのだが、耳元をかすめて飛ぶ時の、本当に瞬間的なのに力強い「ぶんっ」と言う音、右から左から、連続不意打ちで一瞬だけ聞かされるその羽音には本当に、もともと絆創膏か包帯でぐるぐる巻いてなんとかもってるメンタルをすっかりやられてしまった。
暑さと睡眠不足、拷問のような痒みと蝿の立てる音、あの動き。しかも多勢に無勢。
まったくの思考停止に陥り、熱波のトゥジェンに沈殿してしまっていた。
そんな中、ママのいつもの高血圧や心臓の薬を受け取りに、車で30分かけて出る町の薬局にいける機会が巡ってきた。
頼みの綱の、『指さし会話帳』には、ちゃんと ”〜の薬をください”のフレーズと、『かゆみ止め』の単語も虫刺されの絵とともに載っている。会話帳を握りしめ、痒みと闘いながら車に揺られていざ 町:メドニンへ、薬局へ。
ママの次男、修行僧のようなノルディンがママの薬の処方箋を出すとともに、
これをください!!!! と指さし会話帳を、人差し指がしなるほど力強く指差しながら必死にカタカナ発音のチュニ語を繰り出す私。
ここからが、前回の記事で触れたところ。薬局のおじさんにフランス語で話しかけられ、
ノルディンが 『この人、フランス語わかんないんだよねぇ・・・』(推測)とニヤニヤしていた(ように感じた)、あのシーンである。
カチン、ときながらも、もう頭とココロは痒み止めをゲットできる喜びの方が優っていたので笑って誤魔化すことができた。
そんなこんなで、とうとう手にいれた、痒み止め。薬局のおじさんが、はい、これだね、と
いかにもな ウィシュワシャの絵が描かれたチューブを出してきてくれたのだ。
フランス語できない、に凹みかけたことなど吹き飛んだ。
そして町での買い物ツアーを済ませ、いそいそと「家」に帰って、アジザに痒み止めを塗ってもらい、シアワセ感に包まれた。
折れたメンタルも復活の兆し。
しかし。その幸せも束の間だった。
痒み止め塗ったはずなのに、間も無く痒みが再発。収まっていないのだ。
あれ、薬の量が足りなかったか、おかしいなぁ、とまた塗ってみながら、よーくよーく薬のチューブを見ると、薬局ではウィシュワシャの絵に気をとられて気づかなかった、『Anti −Mosutiques』の文字が・・・
も、もしかしたら、これは かゆみ止めではなく、虫除けでは、という疑念に軽くめまいを感じながら、スマホアプリの翻訳かけてみたら、どうみても立派な虫除けクリーム・・・
漫画のように、私の頭の上には 『がーーん』という文字が降ってきたのが見えたであろう。
思考停止、『Anti』の文字に気がつかなかった自分を呪うしかなかった。
しかし。逆にここまでくるとがーん、のショックで緩んだ頭のネジも完全に取れて、『これでいいのだ〜』的に、変に腹がくくれたようになったのもまた事実である。
痒み止め、あると思うから欲しくなる。ここには、無い、のだ。
人間、諦める、受け入れたら 楽になる。
チュニジアで、トゥジェンで学んだ大事な教訓である。
旅はまだ終わらない。
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