すっかる:砂糖にまつわる話。
前回の洗濯ネタで登場した、ジヘンちゃん宅。ここへの訪問時に目にしたことで、
「え”」と固まったできごとはまだある。
よそのお宅を訪問すると、だいたいお昼ご飯いただいて、そのあと客人のおもてなしの基本であるお茶とおしゃべり、となる。この辺りはどの国の風習とそう変わらないと思われる。食事について、お茶、について、現状や歴史や文化、その背景などなど、触れたら壮大すぎる大事なところは今後少しづつ触れていくとして、今日はその、お茶とおしゃべりの間のできごとを。
まずは基礎的なお話。
チュニジアのお茶は小さな焼き物の入れ物に炭を起こし、けっこうな量の茶葉と少しの水を入れた小さな金属のポットをその炭火にじかに乗せ、”ま、まだ?もうよくないですか?”と心配になるほどぐつぐつ煮出したものを、日本のお猪口よりちょっと大きいくらいの、小さなグラスに比較的高いところから注ぎ供されるものである。途中、グラスに注いではまた戻したり、味をみたりして出来上がるのに時間がかかるのだが、それを三煎いただくのが1クール。もはやカジュアル茶道だが、メインはおしゃべりの方である。
それだけ地獄の責め苦のように煮出したお茶は相当濃い。なので、途中、これもまた ”ま、まだ入れるんですか?”というくらいの白砂糖をポットに大量投入。小さなポットに水少し、なのに砂糖は大さじ3杯はあろうか。かくして、猛烈濃厚激甘のお茶を3回いただくことになる。
今はともかく、歴史的にも、地理的にも、茶葉も砂糖も超、がつく貴重品であっただろう。背景と凝縮された時間に思いをはせるひと時でもある。
男性はカフェで、家でお茶とおしゃべりを楽しむのは女性たち。いわば『おとな』の習慣である。ジヘン一家は父親アリの弟ホセイン一家と棟続きの家に住んでいて、それぞれ子供が3人づつ、つまりはまったりお茶の時でも常に3〜4人は子供がちょろちょろしている。
そのうち、当時の最年少、1歳半くらいのメレク(ジヘンの末の妹)が、おとなたちが飲んでいるお茶を自分も飲みたいと要求し始めた。子供はお茶はダメ。水飲みなさい、とファトマ母さんが突っぱねてもあやしても、少し眠くて機嫌が悪かったのか、ぐずりが収まらない。どうするのかな、と思っていたら・・・
ファトマ母さん、お茶用の砂糖容器(日本の茶筒のようなもの)の蓋をすぽんと開けたと思ったら、グイッとメレクを引き寄せ、上を向かせて口開けさせ、おもむろに逆さプリンに柄がついたような、深めの砂糖用スプーン(なぜかどこの家でも同じ形、色は赤)でがっつりすくった砂糖をメレクの口の中に流し込んだのである。
「え”」の10乗。
驚き、固まり、我に返った後 え、あ、あの、ちょっと、な、何しました?いま? と慌てる私に、その場にいたおとな女性3人、平然と 砂糖は体にいいのよ!と言い放ち、突っ立ったままじゃりじゃり音を立てながら砂糖を咀嚼、というか、口いっぱいに溶かしているメレクを抱き寄せて熱烈チュウ。
今、こうして振り返ってみて、あの上をむいた小さな口に砂糖をジャーって、よく窒息しないで済んだな、と あの時とはまた別の意味で背筋が凍っている。
ところ変わればなんとやら。
まだ旅は続く。
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