RAPIDO : Fast food in Gabes
Face foodはともかく、オリーブ食堂について書いたとなったら、もう一軒、また別の意味でガベスで大変にお世話になったファストフード店がある。
正直に言う。必死に生きてたガベスでの毎日、日に何度もその前を通り、立ち寄り、挨拶を交わし、それが「日常」すぎて、その店の名前を覚える必要がなかった、私の中では『あそこ』で済んでいて・・・他の人と共通の話題にすることがなかったので、その店の名前はなんと言うのか、実は知らない。
頭の中ではラピッド、と言っていたような気がする、RAPIDO, とデカデカと書いてあったから、それが名前なのかも。
細かいことを言えば、英語なら rapid、フランス語なら rapide。
イタリア語かもしれない、rapido。
ガベスで住むことになったアパートから歩いて東へ30秒かからないくらいの、大きな五差路交差点の角にあるその店のサンドイッチ、2日に一回はお世話になった。一つ買って昼と夜と半分ずつ食べたり、外食など夢のまた夢、外で買ったものを食べることすらめったにないトゥジェンの子供達や女性たちへのおみやげに3つ4つまとめて作ってもらって持って行ったり、オリーブ食堂と並ぶ、ガベスでの食生活の支えであった。
ガベスは大きな工業都市とはいえ、私が住み着いた学校や住宅が多い古い地区では、マトマタを目指すらしき欧米系のバックパッカーはたまにいるものの、アジア人はまだまだ本当に珍しく、しばらく美容院に行けないことを見越して白髪が目立たないように金髪に近い色に染められた髪の、チュニジア人から見たら文字通りの全くの平たい顔をした黄色人種の外国人なんていやが応にも目立つ目立つ。
しかも、突然現れたそんなアジア人のおばちゃんが、かなり高いところに書かれている、全編アラビア語表記のメニューを店先で突っ立って必死に読んでいたら、なんだなんだ?と取り囲まれる羽目になる。
初めてアパートから近所を歩き、まず何か食べよう、となって一番近いそのファストフード店に着き、何が食べられるかと上記のように必死にメニュー読んでいたら、レジ係のお兄さんが英語で声をかけてきてくれた。『日本人?初めてだよ、ガベスへようこそ!』
この写真の、一番左端に写っている、彼である。
チュニジアのファストフード、サンドイッチは基本オーダー制でその場でパン(と言うか本
体、挟む方)と具材を選んで作ってもらい、物によってはさらにホットサンドメーカーの親玉みたいなのでさらにプレスするようにさっと焼く、と言う工程が入る。
つまり、店内は 必ずお客さんから見えるように具材やパンの類がずらっと並べられたカウンターがあり、その向こうに微妙なリクエストに応えてカスタマイズするスタッフがいる状態。
日本でこの状況が見られるとすると、Subway とかになるだろうか。
サンドイッチ、ファストフードについて、サンドイッチの作られ方、流れ、ファストフードにまつわる詳細を書き始めたら、たちまち3万字くらいは書ける。とてもじゃないが
当分やめられない止まらない。タイトルの RAPIDO とは正反対、どろ沼 完璧主義者の餅つき大会になるので、詳しいことは今日は割愛。
今は、この店のスタッフの皆さんとの個人的な交流エピソードをピンポイントで。
レジ専従のこの英語ができるお兄さんは調理はせず、カウンターの外にいるのでそこそこ自由が利く。アジア人がここに住むなんてたぶん初めてだ、何か困ってない?と言うので私が電気ポットを買いたいのだが、と相談したら、レジに鍵をして20分くらいとは言え一緒に近所の店への案内と通訳をしてくれた。息子以下、くらいに若いと思うが、東日本大震災後の原発事故の影響についてなど、日本語でもそうは簡単に答えられない、かなり鋭い質問されたり、出勤前、まぁいいか、と急いでテーブル脇で立って食べていたら、チュニジア人なら別だが日本女性がそんなことをするべきではない、とどこからか椅子を調達してくれたり、敬意を払いつつ、細かなことも注意してくれる頼もしい存在だった。こう言ってはなんだが、粗っぽい地に似合わず知的でスペック高そう、ガベスのファストフード店のレジ専従ではもったいないような気がしていた。延べ人数はかなりなものと思うが、老若男女、いろんなお客さんとお金の関わるやりとりをテキパキ的確にこなす仕事ぶりもなかなか。
オーナーらしきおじさんががっちりレジ担当、それだけで、家族か雇い人がひたすら調理の肉体労働、と言うスタイルしか見たことがなかったが、雇われの身でレジ専従で任されるのは相当信頼が篤いのではなかろうか。
調理担当のスタッフも4人ほどは店先を通る時に目が合えばサンドイッチ作りながらでも手を振って挨拶してくれるようになっていた。2日に1度くらいは買っていたので、もう私の好み:生玉ねぎは入れない、ハリッサは少なめ、ポテトとオリーブは別にする(テイクアウトだと、フレンチフライもぜーんぶ中に入れる、サンドする)などももすっかり把握していてくれて、言わなくてもちゃんと「いつもの」を作ってくれた。
彼らは常に忙しく、カウンターの中で立ち働いていて、サンドイッチのカスタマイズを頼む以外は全く会話したことはないのだが、それでも私にとっては大事な友達だった。
激しく車が行き交う、砂埃舞う交差点の角の店、落ち着く場でもなく長居もできぬものの、彼らの働く姿を見るのは心地よかった。
一番年長でメインで調理するおじさん、と言っても30代であろう、私などよりずっと若いのだが、どんなにお客が立て込んでいても必ずなぜか私に気がついてくれ、挨拶してくれていた。ある夜、仕事終終わりに通りかかったらお客が途切れて休憩中、隣の店でカットのケーキ買っていたところだったのだが、その場でぐいんと半分にして、はいっ!と分けてくれたことがあった。
生の、クリームたっぷりのバラ売りカットケーキ、この地では決して安くはない。
お給料がどれだけかはわからないけれど、朝から晩まで(珍しく夜9時までなのだ、他は7時には閉店するところが多い)長時間労働、その間のわずかな休憩時間にわざわざ買ったケーキを即半分くれるって・・・どれだけ遠慮してもいいから食べて!で ありがたさのあまり泣き笑いでその場で食べた、今思い出しても泣けてくる。
彼が甘いものが好きとわかったので、それ以来機会を見つけてはお菓子、他のスタッフには果物のおすそ分けに励んだものだった。時々、どうしようもなくざらついた気持ちになっても、彼らと挨拶を交わし、何かおすそ分けするものを考えることで救われる部分が大きかった。
レジのお兄さんとはまた違った意味で、ここに置いておくにはもったいない、かなり甘いマスクのイケメン青年(あくまで個人の感想)が調理二番手、甘いもの好きおじさんとの連携プレーが素晴らしいこの青年は自分がよくわかっていて、一番効果的な表情と控えめな笑顔を私に投げかけることで、彼のファンであろう常連の女の子たちのハートをさらに鷲掴みにしていたのでは、と思うのは考えすぎか・・・。
いつかはガベスを離れ、日本に帰らねばならない、その日がきたらなんて言おう、どうやってお別れを、と思うだけでずいぶん早くから泣きそうになっていたのに、思いもよらぬ展開で夜逃げのように突然最低限のものだけ持ってガベスを出てきてしまい、オリーブ食堂のおじさんとモハンマド、ほかの方達とともに、RPIDOのみんなのことが常に常に思い出される。
飲食の客商売、外出禁止が続いてどうなったことか、心配ではあるものの、きっと元気にたくましくやっていけてる、それがガベスの良さだ、と信じる。
忘れられないうちに、また会えることを祈るばかり。お土産なにがいいかなぁ。
ここガベスのファストフード店 RAPIDO との関わりから考えてみた、
*『働く』
*チュニジアの食生活:ファストフード、外食
*順番待ち、公共の場での経験
については改めて書く。
まだ旅は終わらない。
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