おやつは・・・ギーズ!
ギーズ、ってどんなお菓子かな?と思われたに違いない。おやつに食べるなら。
残念ながら、ギーズ、草である。
首都チュニスから500km, 周辺の山の上から見れば、まだ恐竜歩いてそうな、地球の形が見えるゴツゴツした岩山感のあるだだーんと広い荒涼とした大地に、『第二の故郷』トゥジェン。
アラブ人の侵攻から隠れ住んだ、峡谷に溶け込むようにして立てられた石積みの古い古い家々が凝縮された旧村のトゥジェン:オールドと、そこから新天地を求めてひと山下って移り住んだ、(多少は)インフラ整備された新興住宅地のニュートゥジェン、そこからさらに下った、村役場や商店が並ぶ中心地 トゥジェン:Dkhiret Toujane、の三つの地域からなる地域の総称である。
私が受け入れてもらっているホストファミリー宅は、いわば真ん中、割と平らな広々したところに家がぽん、ぽんとある。一応、三つの各トゥジェンを貫く道路は舗装されているが、それから外れ、家々につながる道は乾いた土そのまんまのところも多く、強い日差しに乾いた大地、岩肌むき出しの茶色い山。ゴツゴツの岩ごろごろの道なき道を、放牧のヤギやヒツジが闊歩する。遠くにポコンポコンとある緑はオリーブの木。咲いている花はさすがアフリカ大陸!を感じさせる、強烈大きなとげとげに守られていたり極彩色だったり。
とてもコントラストが強い風景である。
そんなところで何百年と生き抜いてきた民族のたくましさは、今の日本語でいえぱ『半端ない』と言うのがふさわしい。今でこそ流通も産業も発達していろいろなものが手に入るが、
70代半ばの、一家の中心 ゴッドマザーのママ:マリアムがこの荒々しく厳しい環境の中で生き抜いてきたその70数年間、そしてさらにそれ以前の電気も何もない時代など、どうやって暮らしていたのか・・・まだまだ『戦後』の雰囲気漂う、昭和30年代に生を受けたとはいえ、文明の利器に囲まれてすっかり脆弱になってしまった私には、その厳しさは想像しようにも仕切れない。
いまだに、あれ、今は21世紀じゃなかったっけか?と思うこともあるような暮らしの中に
飛び込むと・・・ママ:マリアムの孫にあたる、幼児〜小学生の子供達にとっては、日本:ジャポン、ヤバーンから来たひと、なんてのはピン、とも来ない、ただの概念、宇宙人みたいなもの。
かろうじて体のパーツは同じみたいだけど、何もかも違いすぎる。オールドトゥジェンと違って、観光客が車から降りて歩く、などと言うことも滅多にない。初めて見る外国人、それもテレビにもあまり出てこないアジア人、なんてもうほぼ異星人。外を歩けば目を丸くした子供達の視線の集中砲火を浴びることになる。
そんな素直な子供達と仲良くなるのは早い。電池が必要なおもちゃなんてものがない分、
自分の体とそこいら辺に転がってるものでなんとでも遊べちゃうのである。
もともとないのだから同じだが、言葉もなくても大丈夫。もう孫みたいなものの子供達と
接していたら、母屋のすぐ裏手に住んでいるママの次男 ノルディンの息子マサゥードが
(この頃4−5歳)「はいっっ」と言わんばかりに右手を差し出してきた。何やら、緑の細いものがその両端から見えている。
受け取ってみると、細いけどちょっと硬めの草。『え、何これ?』と日本語かましながらいぶかしい表情を向けると、マサゥードがにっこり笑って、その草をあぐあぐと食べて見せた。
そして アンタも食べろ、とつんつんと私を指差し、口に入れる真似を繰り返す。
ひぃいええええええ
心の叫び。
ヤギも野犬も歩き回ってるそこいらで採ってきたのに間違いない。洗ってるわけもない。
ちょっと砂ついてない? それにさ、マサゥード、君はけっこうしっかり握ってたよね・・・
華奢で繊細そうなマサゥードの、優しげな笑顔と大きな目に迫られては断れぬ。
その草を一本、二本、食べてみる。美味しくはない、決して。しゃりしゃりと、青くささがじんわりと口の中に広がっていく。食べられる、というだけで、苦い、とかまずくて食べられない、ではない、「食べることが可能」という、ただそれだけ。
でも、異文化の中での絶対的必要な、まず覚えるべき単語、「おいしい」はチュニジア語で『ブニーン(男性形、女性形があるのだが当時はそんな区別する余裕なし)』だと知っていた私は、マサゥードの『ぶにーん?』の問いかけに、他国の食文化にはことさら敬意を払うべきという信念にも基づき、まだ草を口の中でもぐもぐしながら頷いたのであった。
草の名前は ギーズ、と教えてくれた。
その後。マサゥードが裏山で取ってきた草、宇宙人が美味しいと言ったぞ!となって、他の子供達もわらわらと食べられる草つみに野に散っては戻り、慣習に従って床にペタッと座っている私の前にはその草が、両手いっぱいの量がまるでお供えのように積み上げられたのである。
さすがにおとなたちから「そんなに要らないわよ、いくら何でも多すぎよ(笑い)」(多分、推測)の助け舟が入って、草のお供え合戦は幕を閉じた。
決しておいしくはない草も、この土地では食べられるものならなんでも食べざるを得なかったのだろうな、と想いを馳せる。それはそれで素晴らしい食文化の一面である。
21世紀の初め、子供達は代々の生活の知恵を自然と受け継ぎ、実践していた。
普通に、見つけたら食べている、ギーズを。
砂糖サンドや口中流し込み(それも1歳半に)に比べたら、全くもって自然で健康的なおやつな
のである。
行くたびにどんどん大きくなっている子供達、今はもうギーズを取ってきてくれることはなくなってしまった。代わりにスマホで誰々の動画を見せてくれとか、セルフィー撮らせてくれとか言うようになって・・・この子たちがさらに成長して、いつか親になった時、果たして我が子にギーズを食べることを教えるのだろうか。思い出話で終わるのだろうか。歩きスマホでもはや地面のギーズに気づくこともなくなるのだろうか。おばあちゃんの心境は複雑。
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