クルッシャイ ムリーぐル!〜すべてうまくいっています。

チュニジアのキリム に魅せられ、「ただの主婦」からライフシフトしてなぜこんなところでそんなこと?的 目が点腰抜け半移住チュニジア生活のお話。

après shampooing 

7月になっていた。とはいえ、まだ梅雨の最中か、ここのところ毎日雨である。

低気圧、どんより曇り空はうつ病、気象病持ちの身には甚だしんどい。

日々、眠気とやる気のなさと地球の反対側まで到達しそうなこころの深掘りとの闘い。

この頃は、もう闘っても仕方ない、うまく付き合いやり過ごすことにしている。

子育ても終わり、さらに全世界的なコロナ禍Stay Home推奨となって、そうできるなら家にいる方が良い状況、ぽかーんと雨模様を眺める自分も受け入れよう、と。

 

受け入れたら、楽になる。

 

そう、梅雨時は多い、硬い、太い、くせっ毛という四重苦の髪がさらに暴走して暴れまくり、とんでもないことになる時期。若い頃はさらさらヘアに憧れてなんでもやったけれど勝ち目なく、今は自然に出るうねりやくるりんカールを活かしたスタイルに。これも、受け入れたら楽になるのである。

 

とはいえ、受け入れすぎてこのまま何もせずにぽかーんとしていては一度バグった脳みそが本当にダメになってしまいそうなので、ぽかーんなりのレベルとはいえ、チュニジア公用語の一つであるフランス語の勉強を日課としている。

(もう一つのチュニジア公用語アラビア語。言語問題については追い追い記述予定。)

 

しかし。50もとっくの昔に過ぎた上に一度バグってシャットダウンした脳にフランス語はかなりハードル高く、毎日 涙目とため息。寿命が尽きるのと、ちょっとは使えるようになるのと、どちらが早いか、という焦りも抱えつつ、今日もせっせと辞書引きながら、思い出すのは

トゥジェンでのできごと。

 

チュニジアでは外国人にはフランス語で話しかけられるし、意図的にフランス語しか話さないチュニジア人もいるくらい、ステータスを表すものともなっていてもうフランス語当たり前、さすが公用語である。しかし、そんな都会と違って、トゥジェンではフランス統治時代に生まれ育ったような高齢の方や、仕事上必要な方以外はフランス語は使われていないようである。ホストファミリー宅近辺ではまず耳にしたことがない。トゥジェンでの公用語は、アラビア語チュニジア方言の、さらに南部訛り方言である。

 

しかし、アラビア語チュニジア方言:チュニジア語は元宗主国の言語フランス語をそのまま取り込んでいることも多く、たとえば シャワー=ドゥシュ douche、フォーク=フルシェット fourchette etc etc ・・・枚挙にいとまがない。

 

トゥジェンでも話し言葉にはごく普通にフランス語が混じるが、文字情報となると、話は全く変わってしまう。男性はまた別として、私がともに過ごす時間も長く関わりが深くなるのはキリムを織る女性たち。一家を切り盛りし、キリムも織れる年代の30代初めくらいから上の世代は、あまり教育が十分とはいえない人も多く、40代半ばでも学校に行っていないという人もいた。今や姉妹か娘か親友か、のファミリーの中心的存在のアジザは、小学校を3年だけ行ったが、つまらない、家にいる方が好き、だからやめた、という話である。

まだフランスご習い始める前であったろう。(習ってはいるが普段使わないので定着度は

どの程度か、人のこと言えないが)

なので彼女はアルファベットは不得手、いくつかの文字単体を読める程度のようだ。

話しているアラビア語チュニジア語も、文字にしてもらうときはちょっと怪しかったりする。

 

とは言え、学校教育は少なくても、私なんぞよりよっぽどたくましく生きる力と術を持つアジザたち、チュニジアの女性たち。21世紀に到るまで、文字情報なしでも、ずっと立派にやってきたのだ。

その生活の知恵や生活全般切り盛りする能力は本当に尊敬に値する。

 

 

しかし、近代化の波はここトゥジェンにも押し寄せ、『情報』とモノも流れ込んでくる。テレビではさまざまな商品をキラキラと宣伝しているので、洗濯にはこれこれの洗剤、ヨーグルトはどこそこのメーカーの、体洗うのもそんなに頻繁でない生活なのに、シャワーするとなったら◯◯のシャンプー、なんてことが生活に入り込んできている。

 

ある時、トゥジェン滞在も5日越えたあたりで限界がきて、体はともかく頭洗わせてください、と頼み込み、ドゥシュ、ミセールシ!!!=OK、大丈夫!とお許しいただいて、

久々に浴びるお湯の気持ちよさに打ちふるえつつ、これ使えと言われた、シャンプーで髪を洗おうとしたのだが・・・どうにも泡が立たない。さらに、なんだかシャンプーとは違う感触、香り。でもどこかで知っているような・・・おっかしいな、シャンプーと言われたけどこれはどちらかというと  リンスでは????

 

訝しみながらもとりあえず、ママが目を光らせている節水節ガスの方が気になって、とにかく湯シャンでもなんでも洗えればオッケー ミセールシ!と手早く済ませ、落ち着いてから改めてそのボトルをよーく見てみると、shampooing:シャンポワン シャンプーの左横、いわば前に après の文字が・・・

shampooingの前に書いてあるが après は〜の後、という意味なので シャンプーの後、つまりはリンス:コンディショナーである。

やっぱりかー、と思いつつ、一応、スマホaprès shampooingの訳を確かめて(まだそんなレベルだった)アジザに これ、シャンプーじゃなくてリンスだよ、と言うと、え?それシャンプーでしょ、いつもそれで洗ってる。リンスって何?という反応。

 

何でどうやって得たのかわからないが、髪を洗うにはシャンポワンというものが良い、と知り、近くのハヌート(いわばよろず屋さん)で買ってきたのであろうか、多分アジザではなく、買い物を請け負う兄弟の誰かが。(基本、買い物は男性のすることなのである)

日本でも、シャンプーとリンスとそっくりで間違えて買うということはままあるのだが、

知らぬがなんとやら、リンスをシャンプーと思い込んでそれを家族全員使っていたのである。

après  shampooing という文字が表すフランス語、その意味するところが読み取れなかったが故に。

 

でも、それがシャンプーだと思って使っていたのだから、それはそれでミセールシ!

というべきなのか。 これも受け入れる、ということになるのだろうか・・・

 

翌日、アジザは一緒にハヌートに行ってくれ(未婚女性一人では行けない、現地の慣習)、と言い、シャンプーかリンスかを私に確認させ、 après  のない、shampooing とだけ書かれたボトル、なんとその時のハヌートの在庫4本を買い占めた。自分じゃわからない、一緒に見てくれる人がいるうちに、と。

 

その後は、行くたびに shampooing かどうか、確認している。私としては、après shampooing も必要、と力説するのだが、彼女たちにはその必要性はないらしい。用意がないので、今度は私が après shampooingをハヌートへ買いに行く、というオチがついた。

 

 

日々シャンプーするたびに(つまりはほぼ毎日に近い)思い出すできごと。

旅はまだ始まったばかり。

 

 

*このエピソードには恐ろしく根が深いいろいろな『問題』が内在している。

書けばキリなく、長文化。

それぞれ、今後少しづつ書いていこうとと思う。

*フランス語、チュニジア語のカタカナ表記については不適切な点もあろうかと思うが、正確な発音は再現しづらいので、そう聞こえる、という形で表してることをお許し願いたい。

 

 

 

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ガベスの郊外の商店。こんな風にシャンプーなど日用品を売っていたりする。

 

 

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洗濯機について。

今 これを書いているのは ”別宅”。20年以上、賃貸に出していた『本拠地』なのだが

子供達も独立、近づく夫の定年後はそこに住もうと、キリが良いところで賃貸をやめて、とりあえず今の転勤先との半々ぐらいの多拠点生活を始めようとしているところ。

 

3月にチュニジアから緊急帰国、2週間の自宅待機が求められる時だったのでその時 初めてここで数週間を過ごした。とはいえ、貸借人が退去してそのままの空き家状態で、最低限のパソコン机などは通販で手に入れたものの、まだまだあくまで準備段階、今の家から正式に引っ越しするときに持ってくるつもりなので、家電がない。コンセントに繋ぐ必要のある電化製品はそして電気スタンドと電気ケトルのみ。

 

洗濯機・・・もちろんない。なんたって、この3月のまさかの緊急帰国までの5ヶ月ほどのチュニジア生活、それも南部地方のトゥジェンとガベスと半々の生活で常に手洗い洗濯だったのだ。はからずも鍛錬積んである。ろくにお湯も出ず、トイレもシャワーも共同で目が点になるレベルのガベスのアパートに比べたら、日本の生活、パラダイス! お風呂のついででも、またはシャンプードレッサー洗面台でも、一人分の洗濯なら楽勝である。そんなにぐいんぐいん絞らなくたって、いつかは乾く、という素晴らしい「真理」もある(以前の記事参照)ので、脱水しなくてもなんらストレスに感じることもない。

 

・・・しかし、実は2019年1月から、トゥジェンには二槽式洗濯機が存在している。

 

ホストファミリー宅はチュニスの旅行会社でドライバーとして働いている末息子の薫陶により、近辺の家ではまず考えられない、下手したらチュニスの郊外の家よりもよっぽど立派で清潔感のあるトイレとシャワーが備えられている。2019年の初め、久しぶりに訪れた母屋の、その一角にちょっと無理くり押し込まれた感はあるものの、洗濯機が鎮座ましましていた。

 

齡70を超えたママはもう一切の家事は引退、未婚の末娘アジザがキリム織りから何から、家の中のことは全て引き受けていて、さらに農作業も大部分は女の仕事。家事といっても機械化とは程遠い、母屋以外は水道もない、ふつうに台所もトイレも別棟、とにかくなんでもプリミティブな手作業、女性たちはものすごい重労働と作業量をこなしている。(さすがに火はプロパンガス、タンク買ってきている)

 

そういう習慣で大して着替えもしないとはいえ、ママはいつも民族衣装で長い一枚布にその下にカットソー、アジザも基本肌を出さないロングドレスのような服、チュニジア女性にありがちな大きめサイズ、女性二人分でもいざ洗うとなると結構大変な作業である。

 

乾いた大地での農作業に毎日の家畜の世話もあり、汚れっぷりもなかなかの衣類の洗濯、そしてキリムも織る、そりゃあ手も荒れるわけだ。ママが買ったというから、アジザの負担を考えてくれたのだろう、さすがママ。洗濯機が導入されてアジザも少しは楽になった、と思っていたら、それが全然・・・すぐさま、ほぼ使われていないことが判明。その後1年は使っているのを目にすることはなかった。

 

なぜか? 

 

答えはなんと、電気使うから。

電気代 高い、ママが洗濯機使うな、いつも通り手で洗えと言う、とアジザの話。

ママが買ったと言う話だったが・・・・

 

洗濯機のあるシャワー室には立派なバスタブが設置されていてその中でシャワーを浴びる構造のため、床に排水溝がなく、洗濯機を使うとなるとえっちらおっちら、シャワー室から洗濯機を中庭へ移動させねばならず、それも結局はアジザ自身が一人でやらねばならない。

 

出せばまた片付け必要、シャワー室の段差を乗り越え、10メートルを往復である。

延長コードで室内から電源取って、貯水槽から水汲み上げて洗濯槽に何度も注いで、なんてやるくらいなら、伝統の方式で地面にタライで、の方が早いのかも知れない。

せっかく目の前にあっても使えない、宝の持ち腐れ、絵に描いた餅状態。30代半ばであってもママの言うなりで一切逆らえないアジザが不憫である。もちろん、アジザがお金のかかる買い物など自分ですることも不可能。

 

日に何回も洗濯機を見るたびに なんだかなぁ、と思っていたのだが、今年、2020年の冬。

オリーブの収穫に一緒に行き、かなり服が汚れた時はさすがに帰宅後すぐ着替えたレベル。翌日の洗濯の際にはさすがにママのお許しが出た。(私の手前もあったかも知れないが)二人でよいしょよいしょと洗濯機を中庭へ運び出し、やっぱりアジザは洗剤入れまくり、地獄の泡ぜめで数回の洗濯。

料理もそうだがやるとなったら徹底的、地獄の釜のごとく強火でぐっつぐつに煮立てまくるのと同様、洗濯もタイマーをぐいんと一回転近く、がんがんに回しまくり、そしてやっぱりすすぎは最低限の最低限で・・・

二槽式なので手間はかかるとはいえ、機械化万歳である。

 

しかし、洗濯機使えてよかったー、これでスッキリ!と思ったのは早かった。

すすぎ(あくまでトゥジェンでの基準だが)終わり、取り出して手でざっっと絞っているのを受け取って脱水槽にいれようとしたら、「レ」:ノーと言われ・・・

 

なんとまあ、 脱水ダメ、電気いっぱい、『ハーイブ』:よくない、悪い=あかん、 とママが言ってる、とアジザが言うではないか。

洗いは大変だから(汚れのひどい今回に限り)機械使うの許すとしても、脱水、ぐいーーーーーんと高速回転で水絞るなんて、どれだけ電気食うんだ!とママの逆鱗に触れる行いらしい。

 

そんなに電気食わないって、ちょっとでいいじゃん、最初の30秒だけでいいから、お願い、脱水してぇぇぇぇぇ!!

 

いや、洗濯機なんだから洗濯できればいいのであるが、どうにもこうにも、日頃絞りに関してはどこかかなり欲求不満がたまっていて、できるならやっぱりきっちり脱水したくてたまらない日本人の主張はあえなく却下。

 

絞りは手作業、いつかは乾くんだからそこそこで絞り終えて干し、すすぎ一回でなんとなく洗剤分残ったような水のついた手で洗濯機持ち上げて、よいしょよいしょとシャワー室へ戻したのだった。

 

まだ、その時の一回しか、洗濯機の働きぶりを見たことがない。

 

また あの地に立てるのはいつの日か。やっぱり手洗いしながら思う。

まだ旅は終わらない。

 

 

→今後のキーワード:プロパンガスのタンク 、シャワー&トイレ事情

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3年保証付きのチュニジア国内製品!手編みのカバーかけちゃうのである。

 

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おやつは・・・ギーズ!

ギーズ、ってどんなお菓子かな?と思われたに違いない。おやつに食べるなら。

 

残念ながら、ギーズ、草である。

 

首都チュニスから500km, 周辺の山の上から見れば、まだ恐竜歩いてそうな、地球の形が見えるゴツゴツした岩山感のあるだだーんと広い荒涼とした大地に、『第二の故郷』トゥジェン。

アラブ人の侵攻から隠れ住んだ、峡谷に溶け込むようにして立てられた石積みの古い古い家々が凝縮された旧村のトゥジェン:オールドと、そこから新天地を求めてひと山下って移り住んだ、(多少は)インフラ整備された新興住宅地のニュートゥジェン、そこからさらに下った、村役場や商店が並ぶ中心地 トゥジェン:Dkhiret Toujane、の三つの地域からなる地域の総称である。

 

私が受け入れてもらっているホストファミリー宅は、いわば真ん中、割と平らな広々したところに家がぽん、ぽんとある。一応、三つの各トゥジェンを貫く道路は舗装されているが、それから外れ、家々につながる道は乾いた土そのまんまのところも多く、強い日差しに乾いた大地、岩肌むき出しの茶色い山。ゴツゴツの岩ごろごろの道なき道を、放牧のヤギやヒツジが闊歩する。遠くにポコンポコンとある緑はオリーブの木。咲いている花はさすがアフリカ大陸!を感じさせる、強烈大きなとげとげに守られていたり極彩色だったり。

とてもコントラストが強い風景である。

 

そんなところで何百年と生き抜いてきた民族のたくましさは、今の日本語でいえぱ『半端ない』と言うのがふさわしい。今でこそ流通も産業も発達していろいろなものが手に入るが、

70代半ばの、一家の中心 ゴッドマザーのママ:マリアムがこの荒々しく厳しい環境の中で生き抜いてきたその70数年間、そしてさらにそれ以前の電気も何もない時代など、どうやって暮らしていたのか・・・まだまだ『戦後』の雰囲気漂う、昭和30年代に生を受けたとはいえ、文明の利器に囲まれてすっかり脆弱になってしまった私には、その厳しさは想像しようにも仕切れない。

 

いまだに、あれ、今は21世紀じゃなかったっけか?と思うこともあるような暮らしの中に

飛び込むと・・・ママ:マリアムの孫にあたる、幼児〜小学生の子供達にとっては、日本:ジャポン、ヤバーンから来たひと、なんてのはピン、とも来ない、ただの概念、宇宙人みたいなもの。

かろうじて体のパーツは同じみたいだけど、何もかも違いすぎる。オールドトゥジェンと違って、観光客が車から降りて歩く、などと言うことも滅多にない。初めて見る外国人、それもテレビにもあまり出てこないアジア人、なんてもうほぼ異星人。外を歩けば目を丸くした子供達の視線の集中砲火を浴びることになる。

 

そんな素直な子供達と仲良くなるのは早い。電池が必要なおもちゃなんてものがない分、

自分の体とそこいら辺に転がってるものでなんとでも遊べちゃうのである。

もともとないのだから同じだが、言葉もなくても大丈夫。もう孫みたいなものの子供達と

接していたら、母屋のすぐ裏手に住んでいるママの次男 ノルディンの息子マサゥードが

(この頃4−5歳)「はいっっ」と言わんばかりに右手を差し出してきた。何やら、緑の細いものがその両端から見えている。

受け取ってみると、細いけどちょっと硬めの草。『え、何これ?』と日本語かましながらいぶかしい表情を向けると、マサゥードがにっこり笑って、その草をあぐあぐと食べて見せた。

そして アンタも食べろ、とつんつんと私を指差し、口に入れる真似を繰り返す。

 

ひぃいええええええ

 

心の叫び。

 

ヤギも野犬も歩き回ってるそこいらで採ってきたのに間違いない。洗ってるわけもない。

ちょっと砂ついてない? それにさ、マサゥード、君はけっこうしっかり握ってたよね・・・

 

華奢で繊細そうなマサゥードの、優しげな笑顔と大きな目に迫られては断れぬ。

その草を一本、二本、食べてみる。美味しくはない、決して。しゃりしゃりと、青くささがじんわりと口の中に広がっていく。食べられる、というだけで、苦い、とかまずくて食べられない、ではない、「食べることが可能」という、ただそれだけ。

 

でも、異文化の中での絶対的必要な、まず覚えるべき単語、「おいしい」はチュニジア語で『ブニーン(男性形、女性形があるのだが当時はそんな区別する余裕なし)』だと知っていた私は、マサゥードの『ぶにーん?』の問いかけに、他国の食文化にはことさら敬意を払うべきという信念にも基づき、まだ草を口の中でもぐもぐしながら頷いたのであった。

草の名前は ギーズ、と教えてくれた。

 

その後。マサゥードが裏山で取ってきた草、宇宙人が美味しいと言ったぞ!となって、他の子供達もわらわらと食べられる草つみに野に散っては戻り、慣習に従って床にペタッと座っている私の前にはその草が、両手いっぱいの量がまるでお供えのように積み上げられたのである。

さすがにおとなたちから「そんなに要らないわよ、いくら何でも多すぎよ(笑い)」(多分、推測)の助け舟が入って、草のお供え合戦は幕を閉じた。

 

決しておいしくはない草も、この土地では食べられるものならなんでも食べざるを得なかったのだろうな、と想いを馳せる。それはそれで素晴らしい食文化の一面である。

21世紀の初め、子供達は代々の生活の知恵を自然と受け継ぎ、実践していた。

普通に、見つけたら食べている、ギーズを。

砂糖サンドや口中流し込み(それも1歳半に)に比べたら、全くもって自然で健康的なおやつな

のである。

 

行くたびにどんどん大きくなっている子供達、今はもうギーズを取ってきてくれることはなくなってしまった。代わりにスマホで誰々の動画を見せてくれとか、セルフィー撮らせてくれとか言うようになって・・・この子たちがさらに成長して、いつか親になった時、果たして我が子にギーズを食べることを教えるのだろうか。思い出話で終わるのだろうか。歩きスマホでもはや地面のギーズに気づくこともなくなるのだろうか。おばあちゃんの心境は複雑。

 

 

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ギーズ。トゥジェンの味。

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子供ひとりにつき一握りのギーズ。

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家の周辺で。子供達のテリトリー。

 

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ニュートゥジェンのある遠景

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こういうところ。

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オールドトゥジェンの一部。

 

 

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『グアテマラの弟』

あれ、キリムに惚れてチュニジアへ、がテーマだったのでは?

砂糖ネタ: その3かと思ったら、チュニジアどころか グアテマラ

 

今日はちょっと寄り道。でもとても大事なプロセスかも知れない。

 

幼い頃から、本の虫。事あるごとに、本が支えになっていた。

この頃は、本のほかに旅、という要素も増えた。旅に出る=行動を起こせば出会いも広がる。ライフネット生命創業者、現在は立命館アジア太平洋大学学長の実業家、著述家の出口治明氏が何かと各方面で発信しておられる、「人・本・旅」という言葉、そのまんま。ヒシヒシと感じるこの頃。うつ病だのなんだの、棒に振ったように思える20年の後に、まさに「人・本・旅」に凝縮されたような日々が続いていた。キーワードとしてはさらにいろいろな要素は加わっているのだけれど、そこは多分に個人の趣味の部分が大きい。普遍的な部分としてはやはりこの3つ、いわば三種の神器である。

 

まさに『事実は小説より奇なり』、そんな都合のいい展開がある?と信じてもらえないような事実が幾重にも重なって今があり、まさか自分がこうしてブログを書くことになろうとは、それにもびっくり。ことここに至るまでの、貴重なつながりにはいくら感謝してもしきれない。

 

そのようなつながりから出会った、いつも励ましてくれる友人が先日紹介してくれたのが、女優 片桐はいりさんの著書グアテマラの弟』だった。

 

恥ずかしながら、片桐はいりさんがエッセイを書いておられることについては全く知らず、教えていただいてすぐに文明の利器インターネットを用いて即購入。届いて開封して、おおおー、と思わず唸る。表紙を飾るデザインが、キリムの模様みたい!

もちろん、それはタイトル通り、グアテマラ、メキシコなどの南米の伝統的デザインなのだが、それらにはチュニジアのキリムと似通ったところがあるのだ。(織物で展開することのできる模様には限界があるので、トルコでも東アジアでも、キリムの幾何学的模様はみなどこかしら似てしまう、といえばそれまでだが)

 

片桐はいりさん、実は夫と同じ大学、学年は違うはずだが同時期に学内にいて、よく見かけた、と言っていた。本の見返しを見ると、その大学名と、19××年生まれ、の文字。おおおー、同い年! 

 

一気に読みたいところをぐっと抑えて少しづつ、少しづつ。小さな角砂糖に水分が染み込み、だんだん崩れていくように、少しづつ、少しづつ・・・

 

こ、これは、チュニジアのことを書いているのでは?と一瞬思うほど、海外あるある!とうなずくところが多く、出てくるグアテマラの地名をチュニジアのものと置き換え可能、と思えるくらい。旅にまつわるエピソードも、言葉の問題も、家族との距離感も、アジア人十把一絡げで遭遇する展開への考察も、全部、2020年6月20日頃の、今の私のざらついた気持ちを癒すように染み込んできた。そして、あああ、やっぱりまた旅に出たいなぁ、としみじみ思ったのである、もう隠居しようかな、と真面目に思っていたのに。

 

ほかにもチュニジアとの意外なつながりが発見される(もちろん片桐さんはそんなことは思いもしないことであり、私が勝手にそう思って感動しただけ)部分があったり。ユーモラスな表現もさらりと優しく、奇を衒わず凝った風でもなく、すーっと読ませる魅力がある。そう思わせないところが逆に『上手い』と、舌を巻く上手さなのだ、とふっと思う、そんな文章。

ゆっくり、のほほん、クスッとしながらゆるく繋がっていく各エッセイは、終盤、思わず 「え」と声が出る場面を迎え、そのまま感動の解説へと流れていく。

 

 

書評的なことを書く資格もそんな立場でもないので、ぜひみなさまにはご自分で読んでいただいて、味わっていただきたい。一読の価値がある。なんていうと、幻冬舎文庫のまわし者みたいに、ブログで広告収入が得られるのでは、と思われるかも知れないが、全くもってそんなことはなく、ただ、こんな本がありますよ! とシェアしたい。この本に出会えたことに感謝しながら。私のこんなブログに興味を持ってくださる方にはほんとお勧め、まさにツボ。

 

 

チュニジアのでの腰抜けるような経験を、いろいろ見聞きしたことを、「この世界の片隅に」一生懸命生きている愛すべき人たちがいるということを、そこに至るまでのことを、何かの形で残したい、と思って始めたブログだけれど、百聞は一見に如かず、の動画全盛の今の世で、拙い文章でどこまで伝えられるのか、あくまで個人的な、好きでやってることを書き綴ったとて、世の中に何の意味やら影響がある?とか、激しく下向き後ろ向きになる時がある。あれこれ考えてこねくり回す、ひとり餅つき大会。しかし、この『グアテマラの弟』を読んで、あ、そうね、と思えた。文章だからできることもあるし、まず書かなきゃ誰も読めないし。

片桐はいりさんのような透明感も味もある、うおー、何気なくすごいぞーというものは書けないとしても、参加することに意義がある、と思う。また餅つきそうになったら、事あるごとに、いや、何もなくてもこの本を読み返すだろう。私もこんなものが書きたい、と。

 

それが、一つのご恩返しでもある。チュニジア暮らしを許し、支え、受け入れてくれた全ての方々への。

 

 

一年の半分近くを『逆単身赴任』されて日本でひとり暮らしになる夫→チュニジアの妻

兄一家もアメリカ在住、末っ子なのに高齢の両親のケアを任される妹→チュニジアの姉

激しくしつけ厳しかったのにあっさり子離れ、肩透かし食らった息子と娘→チュニジアの母

誰か書いてくれないかなぁ。

 

 

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グアテマラの弟」片桐はいり 幻冬舎文庫 (令和元年第10版)

 

 

 

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すっかる:砂糖にまつわる話 その2。

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奥にお茶の用意がある食卓。『タジン』を切るペティナイフも。


ああ、やっぱりね、そうきたか、と自分でも思う、◯◯ネタで引っ張る作戦。

 

やっとこ歩いてるようなベイビーの口に砂糖流し込むシーンもなかなかであったが、もう一つ、忘れられない光景、砂糖にまつわる話、その2。

 

ホストファミリーのビッグママの長男と三男の一家が、少し離れたところに並んで住んでいる、のは前回までのあらすじ。砂糖流し込まれたのは長男アリの末っ子、次女メレク。

洗濯物まっちろジヘンちゃんは一番上の長女、真ん中に息子がいる。

三男 ホセインにも子供が3人、真ん中が長女マリアム、息子が2人。

両家とも、末っ子以外は日中 それぞれ学校へ行っているが、ここチュニジアの小学校は、午後も授業がある時は、お昼ご飯食べに家へ一度戻ってくる。始業時間、帰宅時間も毎日ばらばらで、曜日による、などの規則性を見いだすことがなぜか難しかった。

 

その日、メレクが砂糖流し込まれた日とはまた別にアリとホセインと家族が住む家を訪ねていた時。やはりお昼ご飯をご馳走になり、その後、本題の二人の嫁が織るキリムを見せてもらって商談成立、お茶も入ったし、の頃にホセイン家の長女 マリアム(この時は8歳くらい)が学校から戻ってきた。

お昼ご飯を食べに戻ってきたにしては遅い、再登校後に帰宅したにしては早すぎる?どちらか分からない半端な時間だったように記憶している。

よく晴れた”天気が悪い”日で、土むき出しの埃っぽい岩ゴツゴツの道を、子供の足で30分ほどかけて歩いて学校から戻ってきて、まずはプラスチック容器に汲み置きしてある水を、備え付けのコップをずぼっと入れて水を汲み、ぐいっと飲み干す。

ぷはー。コップは使い回しである。

 

ホセインの嫁、マリアムの母 へスナはまだ30歳そこそこ。18歳でと結婚が早いので、長男11歳を頭に子供3人も余裕、むしろこちらではそれが当たり前くらいの勢いである。

先住民族の特徴を残す、と言われる、色の薄い瞳が印象的な明るい健康美人。

マリアムもエキゾチックな彫りの深い顔立ちで、磨けば光るダイヤの原石のよう。

日本で言えば、『今日学校どうだった?宿題は?』『お腹すいた、おやつおやつ!』的な会話が今目の前でなされているんだろうなあ、と思って母娘のやりとりを微笑ましく見ていたのだが、なんでもいつでも手に入る日本とは遠く離れたチュニジア、それも首都から500kmのここトゥジェンの、さらに奥まったところでは、日本で思い浮かべるようなお菓子的なものは、普段は家の中にはほぼ無いに等しい。(売ってはいるけどわざわざ買わない。その背景はまた改めて。)

 

もちろん、訪問客としては、近くのハヌートと呼ばれる「よろず屋」でお土産になるものを購入していくが、様子を見ていると、ファンタ、コカコーラなどの炭酸飲料の2リットルとか、ダノーン、ヨゴルトと呼んでいるように聞こえる、小分けのヨーグルトなどを手土産で持っていくのが慣習のようであったので、郷に入っては郷に従え、当地での常識的なものを携えていった。

そのお土産をマリアムが口にしたかは全く記憶がない。いただき物がキッチンや別室の奥に消えたまま、二度と見ない、というのもこちらではよくある話。

 

これもこちらの慣習で、客人にだす食事の類は気前よく溢れんばかり、とにかくクーリー:食べなさい、食べなさい、の連呼の中のでのおもてなしである。なのでクスクスだったかパスタだったか、メインのお料理が残っていて、さすがヘスナは甥、姪含め、子供たちがいつ突然ハラヘッタ、と言い出してもいいように取り分けて近くに置いてあった。

たとえ、メインがクスクスでもパスタでも、さらに何かしらパンの類も一緒に出されるのがチュニジアンスタイル。お好み焼きおかずに白ご飯、またはラーメンライスのようなもの。

なのでその日はフランスパン;バゲットチュニジア語ではホブズもキッチンに下げずに、おやつ代わりに置かれてあった。

 

マリアムも帰宅してお腹すいたのだろう、ヘスナとのやりとりは「これ食べなさい」「えー、これはやだ。何かほかにないの?』的なものに移行していく。(推測)

お昼の残りの料理を示しても、チッチッ、と舌を鳴らして「No」、チュニジア語では「レー」の意思表示をするマリアム。ならば、とヘスナはホブズを差し出すが、それも「」とちょっと強めに否定。

 

ヘスナはおもむろに残りのホブズの切れっ端(といっても15cmくらいの長さ)を、食後の果物用ペティナイフ(食べ終わるか終わらないか、のタイミングでその場でリンゴなどの皮をむいて供するために用意してある)でざっくり『開き』にし、そこへ

お茶用の砂糖をたっぷりそそぎいで乗せ、パタンと閉じた砂糖サンド

を作り、マリアムに差し出した。

 

ちょっと恥ずかしそうに、でもお母さんが『しょうがないわねぇ』、と言いながら(まったくの推測)作ってくれたのでどこか嬉しそうに、マリアムはその砂糖サンドを素直に受け取って、やっぱり少しジャリジャリ言わせながら食べ始めた。

 

純粋に、バゲットと砂糖のみ、のシンプルなサンド。

郷に入っては郷に従え。忘れられない、お袋の味、チュニジア、トゥジェンの味である。(食べてないけど)

甘ーいお茶を飲みながらの、身振り手振りのやりとりでまったりと過ぎた午後であった。

 

旅はまだ始まったばかり。

 

 

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チュニスのレストランにて。バゲットはこのようにたっぷり出てくる。

 

 

 

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すっかる:砂糖にまつわる話。

前回の洗濯ネタで登場した、ジヘンちゃん宅。ここへの訪問時に目にしたことで、

「え”」と固まったできごとはまだある。

 

よそのお宅を訪問すると、だいたいお昼ご飯いただいて、そのあと客人のおもてなしの基本であるお茶とおしゃべり、となる。この辺りはどの国の風習とそう変わらないと思われる。食事について、お茶、について、現状や歴史や文化、その背景などなど、触れたら壮大すぎる大事なところは今後少しづつ触れていくとして、今日はその、お茶とおしゃべりの間のできごとを。

 

まずは基礎的なお話。

チュニジアのお茶は小さな焼き物の入れ物に炭を起こし、けっこうな量の茶葉と少しの水を入れた小さな金属のポットをその炭火にじかに乗せ、”ま、まだ?もうよくないですか?”と心配になるほどぐつぐつ煮出したものを、日本のお猪口よりちょっと大きいくらいの、小さなグラスに比較的高いところから注ぎ供されるものである。途中、グラスに注いではまた戻したり、味をみたりして出来上がるのに時間がかかるのだが、それを三煎いただくのが1クール。もはやカジュアル茶道だが、メインはおしゃべりの方である。

 

それだけ地獄の責め苦のように煮出したお茶は相当濃い。なので、途中、これもまた ”ま、まだ入れるんですか?”というくらいの白砂糖をポットに大量投入。小さなポットに水少し、なのに砂糖は大さじ3杯はあろうか。かくして、猛烈濃厚激甘のお茶を3回いただくことになる。

今はともかく、歴史的にも、地理的にも、茶葉も砂糖も超、がつく貴重品であっただろう。背景と凝縮された時間に思いをはせるひと時でもある。

 

男性はカフェで、家でお茶とおしゃべりを楽しむのは女性たち。いわば『おとな』の習慣である。ジヘン一家は父親アリの弟ホセイン一家と棟続きの家に住んでいて、それぞれ子供が3人づつ、つまりはまったりお茶の時でも常に3〜4人は子供がちょろちょろしている。

そのうち、当時の最年少、1歳半くらいのメレク(ジヘンの末の妹)が、おとなたちが飲んでいるお茶を自分も飲みたいと要求し始めた。子供はお茶はダメ。水飲みなさい、とファトマ母さんが突っぱねてもあやしても、少し眠くて機嫌が悪かったのか、ぐずりが収まらない。どうするのかな、と思っていたら・・・

 

ファトマ母さん、お茶用の砂糖容器(日本の茶筒のようなもの)の蓋をすぽんと開けたと思ったら、グイッとメレクを引き寄せ、上を向かせて口開けさせ、おもむろに逆さプリンに柄がついたような、深めの砂糖用スプーン(なぜかどこの家でも同じ形、色は赤)でがっつりすくった砂糖をメレクの口の中に流し込んだのである。

 

「え”」の10乗。

 

驚き、固まり、我に返った後 え、あ、あの、ちょっと、な、何しました?いま? と慌てる私に、その場にいたおとな女性3人、平然と 砂糖は体にいいのよ!と言い放ち、突っ立ったままじゃりじゃり音を立てながら砂糖を咀嚼、というか、口いっぱいに溶かしているメレクを抱き寄せて熱烈チュウ。

 

今、こうして振り返ってみて、あの上をむいた小さな口に砂糖をジャーって、よく窒息しないで済んだな、と あの時とはまた別の意味で背筋が凍っている。

 

ところ変わればなんとやら。

まだ旅は続く。

 

 

 

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お茶道具。左の缶が茶葉と砂糖の容器。右のバケツは常備の水。

お盆の下のボウルにグラスが3−4個入っている。

 

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旬の贅沢、生アーモンド入りのお茶。グラスはこの大きさ。

 

 

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みんな、まっちろ〜トゥジェンの洗濯事情、その2。

泡泡 ぶくぶく洗剤水も無駄にしない、チュニジア南部の秘境 トゥジェンでの

目が点 腰抜け洗濯事情、何のひねりもなくそのままNo.2へ行っちゃおう。

この時期、うつ病持ち、気象病持ちにはどうにもしんどい。

あれこれ考えすぎて動けなくなる餅つき大会から抜け出すためには、考えないのが一番。

 

洗濯事情の前に、チュニジア全体の傾向として、とにかくもれなく漂白剤大好き、ということを大前提として述べておかねばならない。洗剤あわあわてんこ盛りと同じく、掃除の際には「ジャフェ」とか「ジャベル」と私の耳には聞こえる名前の漂白剤をジャバジャバ、それこそ湯水のように使うのである。売っている容量もその使用量に合わせてアフリカンサイズというべき大容量。

掃除のみならず、台所仕事、洗濯時にも何かと使っているようである。

 

もう一つ、洗濯事情の目が点腰抜けポイント、それは 基本、たまにしか着替えない、ということ。

トゥジェンでの洗濯回数は週に一回くらいか、と書いたが、ずっと溜め込み一気に洗う、のではなく、着替えないのである。日中の服、そのまんまでパタンと寝て、起きて5秒で活動開始、寝ても覚めても同じ服、それが下手すりゃ1週間、である。

 

ほんとの話。それが良い、悪いではない。乾燥した気候、厳しい環境で、モノも最低限で暮らしてきたであろう背景から生まれた生活様式の違い、清潔さに対するポイントの違い・・・ずっと同じ服で寝て起きて、洗面も歯磨きもありゃしない、が平気なのに、変に漂白剤使いまくりのこだわりポイントがあるのだ。

私が育った昭和ニッポンも今と違ってそれなりで、今からは考えられないような状況ももちろんあったけれど、それでもなかなか、ここの暮らしは 思わず『ほぇぇぇぇぇぇぇ』と声が出ちゃうことばかり。

 

もう一つ、大前提。また改めて述べるが、新品の衣料品は高価、海外から持ち込まれる古着がメインのチュニジア。日本から渡航する際は持てる限り、もう着なくなった衣料品、靴などをお土産の一つとして持っていく。

 

さて、やっと本題。

ホームステイし始めた初期の頃、親戚の中高生の女の子用に、うちの娘の言わば「お下がり」を持って行った。買ったけど気が変わって履かずじまいだったピンクのスニーカー、綺麗な花柄のパーカーなど、トゥジェンではまず手に入らないもの、これは喜んでもらえそうだなぁ、と勝手に期待して、はるばる日本からチュニスへ、チュニスからさらにトゥジェンへ500km、長旅である。

到着した時、ホストファミリー一家を取り仕切るママの孫の中で一番年長の、高校生の女の子(歩いて15分くらいのところに他の親戚と住んでいる、ママの長男の娘)ジヘンがたまたま母屋に来たので早速そのパーカーやらスニーカーやら、日本からの「お土産」を渡し、目をハートにして喜んでもらった。やっぱり カワイイは世界の女子の共通言語よね、などどひとり悦に入っていた私。

 

二日後、そのジヘンの家へ、お母さんが織るキリムを見せてもらいに行くことになり、これまた「ほぇぇぇぇぇ」と声が出てしまう、かろうじて「道」と言えるレベルの道を歩いた。大草原の小さな家的、何にもないところにぽつん、とあるジヘン一家の家に洗濯物がはためいている。

どこかで見たことのある服やスニーカーが電線に揺れているのだが、それは色も柄もなく、遠くからは真っ白に見えた。ユニクロのパーカーもコンバースのスニーカーも形は定番、どれも同じであろう。

「なあんだ、パーカーもスニーカーももう持ってたのかぁ、それにしてもどこで買ったのかな』などど思いつつ、ジヘン宅へ。チュニジア式の歓迎の長い挨拶にクスクス、お茶、のおもてなしの後、一族の子供たちと遊ぼうと外に出て、転がったボールを取りに洗濯物に近づいてみて気がついた。日本からのお土産とそっくりな、白いパーカーやらスニーカー、よくよく見ると微妙な模様が・・・見覚えのある模様だった、色がないけれど。

 

5回くらい瞬きして、合点がいった。理由はわからぬが、日本から来たから?とにかく、いったん洗ったのだ。

それも、山盛り洗剤のみならず、漂白剤も使って・・・色落ちしません、の酸素系ではなく、塩素系のを。

そんなにキレイする必要が?? ほぼ新品だったのに。もちろん洗って持ってきたし。

 

せっかくの、それが命、のカワイイ柄も、色も、パー。ぜーんぶ、まっちろ。まっちろちろ。

かすかに まだら模様がうっすら残るばかり。

 

今となってはもう少し多角的にその理由をいろいろ考察できるのだけれど、その時はやっぱり口から出たのは『ほぇぇぇぇぇぇぇぇ』であった。

 

子供達は太古の昔からそのまんまの土の上、裸足で駆け回っている。

この家に水道はない。

 

腰抜け目が点の旅は続く。

 

 

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トゥジェンの普通の風景。

 

 

 

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トゥジェンの洗濯事情、その1。

 

 

『 干しておけば、いつかは乾く。』

そう、そうなのである。そんなことにも目からウロコが落ちてしまったのだけれど、

もっと腰を抜かして目が点になったことが洗濯がらみで数々あるのであった。

今日は洗濯関連の記録 その1。

 

結論から言おう。

*衣類を洗ったあとの、大量洗剤投入のぶっくぶくあわあわの水を、いずれ自分たちが食べる庭の作物に撒く。どんな水もいずれ自分たちが食べる植物に撒く。

 

乾燥した大地、水は貴重。どんな水でも水は水。

ましてや衣類の汚れを落とし、いい匂いまでしちゃう洗剤が入ってる水なんてとってもいいものである。という考えなのであろう、と理解する、するしかない。

 

洗濯する中庭は広い。バレーボールコートが取れる。地面は土そのまま。普段からどんな水でも、部屋から(全ての部屋は中庭に面している)中庭へ、または外へじゃっと撒いてしまえば終わり、なのである。それこそ、いつかは、どころかすぐ乾く。

そこそこ量があれば、もったいないからそら豆だのミントだの、家の周りに植わっている食べられる植物に、灼熱の太陽光浴びてちょっと元気ないイタリアンパセリに、あわあわ水を恵んじゃうのである。甚だしい土壌汚染に胸が痛む。

 

もちろん、下水道なんてものはないし、トイレ等の汚水はその設備の横の地下に大きな穴が掘ってあってその中に貯めていく仕組みらしい。それ以外は自然乾燥、『排水』という概念がないのだ、と思う。

 

中庭にも、家の門扉あたりにもいろいろ植わっていて、食事の支度の時にはそこからハーブ系の葉や小ネギみたいなものなど、調達してきているのだが、あの洗剤水を吸収した葉・・・と思うと食欲減退。

(他にも究極の食物サイクルが展開されていて、これまた腰が抜けるのだが追い追い書いていく。)

 

自分で洗濯するときは、最後のすすぎに使った水くらいは植物に撒いたりもするが、最初の洗剤入りの水(こんなことになるのでごくごく少量しか入れないが)は家人の目を盗んで植物のないところ、人が近づかないようなところに打ち捨てている。

 

思い返せば 昭和ニッポンも合成洗剤万々歳、汚染、公害が甚大な被害を及ぼしていたのであり、人工物礼賛の傾向もすでに振り切ってしまったからこその自然回帰へ、逆方向へ戻っているとすれば、チュニジアも今その経過をたどっている途中なだけかも知れないのだけれど。

 

衛生観念そのものの大きな違いについても記録しておきたいことがいっぱい。洗濯がテーマの文化考察、思うところも奥が深いんである。

 

旅はまだ始まったばかり。

 

 

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ここにも洗剤水が撒かれる。

 

 

 

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いつかは乾く。

やっぱり、6月、梅雨である。今も雨。警報出るほどの強さになった。

梅雨時のトラブルオリンピックでまず金メダル間違いないのは『洗濯物が乾かない」問題であろう。匂いが気になりません!という洗剤が発売されても、そもそも部屋干しする場所にも限界がある。目の上のたんこぶならぬ部屋中の洗濯物。これは思いのほか気分に重くのしかかる大問題なのである。

 

しかし、それもせいぜい平成までの話で、令和ニッポンの21世紀においては、洗濯機はもちろん、乾燥機もだいぶ普及していて洗濯物が乾かない問題はもはやメダルも取れない、現役引退に追い込まれているのだろうか。

なんとか昼間のうちにそこそこ乾いた洗濯物を取り込みつつ、やっぱり思い出すのはトゥジェンでのアジザの言葉。

 

チュニジア 南部の辺境地トゥジェンでは、洗濯は週に一回?三日に一回?くらいの頻度、もちろん手洗いである。

今日は詳しく触れないが、如何せん トゥジェンでの暮らしは令和(関わり始め当時はまだ平成だったが)ニッポンの今時の暮らしとはかけ離れているので、そんな頻度の手洗い洗濯は当たり前なのだ。私もトゥジェンに滞在中は、自分のものは自分で洗濯する。もちろん手洗いである。(いくら一緒に洗うと言っても自分たちのものは私に洗わせることはない。)

 

*トゥジェンでの洗濯*

チュニジアの地方都市の基本的な家屋の構造とインフラからして、

洗濯は屋外=中庭、使うのはでかいタライと補助にバケツ。

水は地下に貯めたものを手で汲み上げる。

洗剤は合成粉石鹸。後日改めて述べるが洗剤、漂白剤の使い方は強烈大量。

アジザの洗濯のやり方を見ていると、場所柄、水は最低限、洗剤は最大限。

多けりゃいいってもんじゃないと思うけど、洗剤大量投入、ぶっくぶくのアワアワにして洗うのだが、なんとすすぎは一回!!!!!!!!それも貯めた少ない水にザブンとつけて終わり!!!!!!!!  (それで乾かしたと思うと、またそれを着るのは抵抗があり、無理やり自分で洗濯するように・・・洗剤は汚れを綺麗にするものだから、良いものであるからして、全部すすぎ流す必要ない、いい匂いもするし。と言う捉え方のようである。)

干すのは、外の電柱から引っ張ってきたりして、そこらにのびている電線。場所はあるので単純に引っ掛けるだけ。運動会の万国旗、である。

 

アジザが 『私がやってあげるのにぃ』と匂わせながら チラチラ こちらを見る目を盗みつつ、洗剤はほんの少量、すすぎをアジザよりは多めの水でしっかり2回。慣れればちゃちゃっと済ませられる、洗うだけなら。

 

何が大変、って、「絞る」ことである。薄いものならまだしも、ジーンズ、トレーナーなど、厚手のものだったりすると、かなり手強い。

何度も何度も 血相変えてぎゅうぎゅう絞っていると、アジザがクスクス笑いながら近づいてきて、ぐいっとひと絞り、私の洗濯物をぱっぱと干しながら放ったのが、

 

そんなに親の仇のように絞りまくらなくたって、干しておいたらいつかは乾く。

(と言うニュアンスのことを言っていたと思う、あくまで個人の見解です、意訳) 

という、一言。

 

目からウロコ。

 

殺人光線並みの太陽光、山もあって風が強いトゥジェンでは、多少ぼたぼた水が垂れるくらいのものでも1日で乾くのだ。たとえ、そうでなくても、何もその日のうちに乾かねばならぬ、と言う決まりはどこにもない。急ぐ必要全くなし。

夕方までに乾くべし、そんな概念は私の、物心着いてから50年超日本人やってきた私の頭の中だけ。水ではなくて自分の力を振り絞ってちょっとでも早く乾かそうとするなんて、ここチュニジア、トゥジェンでは何の意味もないことなのだ。何でそんなに必死に絞ってるのか、意味不明。なのである。

洗濯したらしっかり脱水、干す時は洗濯物はすでにだいぶ軽くなっている、のが当たり前だったが、日本の常識は世界の何とやら。

 

わだかまりは『水に流し』、ふんだんに使うのは「湯水のように』と表現する日本とはかなり開きのある、水道のない暮らし。洗濯機も掃除機も電子レンジもない暮らし。

何でもスピード、効率化が良いわけでもないのかも知れない、と改めて思った、トゥジェンのある日のできごと。

 

まだまだ旅は続く。

 

 *キリムを陽に干す風景。 砂を落とすためで、基本洗うことはない。

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今日は天気が良い。

6月、毎日言ってる、6月。 なのでとうとう関東も梅雨入りしたらしい。

殺人光線並みの太陽光降り注ぐ灼熱の大地 チュニジアのバッキバキ乾燥度合いとはほど遠い、アジア!を感じさせる、肌にまつわりつく湿り気たっぷりの空気感。

居坐わる低気圧がバグ経験のある脳みそをさらにふやけさせるのか、ぼわあんとしたかったるさが絡みつく。気持ちも湿っぽく、メンタルには一番良くない季節。

 

コロナ一辺倒だったテレビニュースの話題も傾向が変わってきて、今は熱中症対策の話をよく耳にする。

天気予報の画面に並んだ傘マークを見て、明日も天気悪いのか、とつぶやきながらふと思い出す、チュニジアでのとある会話。

 

会話、と言っても私は耳から覚えたチュニジア南部方言と「指さし会話帳」に載っているのをまぜまぜでとにかく単語を並べ、あとは手話か、くらいの身振り手振りでの意思疎通なのだけれど。

 

チュニジアの北側に位置する首都チュニスから500kmほど、海沿い地域との較差激しい内陸部、ガベス県のど田舎 峡谷の隠れ里(秘境とも言う)トゥジェンに得たホストファミリーとの暮らしでどれだけ吹っ飛んだか、をこれからここでアウトプットしていくのだが、まずは穏やかな天気の話の思い出をば。

 

砂漠に近い大陸気候、一年の多くは怒りがわくほど暑くもなるが、冬は日本と同じぐらい気温が下がり、雨が降ることが多くなる。冬と雨が『シテー』と言う同じ単語なのがそれを物語る。草木も生えぬ夏の灼熱の暑さに耐えねばならないトゥジェンの人たちにとっては、寒いのは快適、良い=ベーヒ、暑いのは悪い、よくない=ハーイブである。

 

トゥジェンで朝から曇ってどんより、今にも雨が降り出しそうだった時、思わず 今日は天気悪いね、と言うと、一番仲良しで意思疎通できる末娘(と言っても30代半ば)のアジザがすかさず返す。

『今日はいい天気、イルヨウム タクス ベーヒ!』

 

おおお、そう言うことかぁ、と感動しているうちに雨が降り出し、ぱきぱきに乾いて砂っぽい地面を潤していく。

 

恵みの雨、命の源。トゥジェンに降る雨は各家庭で大切に貯められ、日々の暮らしに衝撃的に直結していたのだが、その頃の私はまだそんなことに気づきもせず、他の『目が点』な出来事に心を奪われていたのだった。

 

旅はまだまだ始まったばかり。

 

 

 

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